Michel Fourau et Ses Amies 2 終わる

9月18日、Michel Fourau et Ses Amies 2 ( ミシェル・フローと仲間たち)第2回を、無事終えることが出来ました。
報告するまでもないことですが、何しろ記憶が段々と怪しくなるこの頃です。
ブログに載せておけば、後で思い出せますので、ご報告だけ載せさせていただきます。

前にしたのは、2年前だったかな?なとど言っていたら、前回から、もう4年過ぎ去っておりました。
この度は、三月ほど前にやることが急に決まり、前回は、プロにお願いしたチラシ、チケット、プログラムも、「なんでも良いから・・・」
ということで、全て、私の手作りということで、お客様には、分りにくい物では無かったかと恐縮いたして降ります。

前回の Michel Fourau et Ses Amis 2012年11月4日 と同じコンセプトで、ポスターは、普段の練習の場で撮した物を使いました。
なにしろ、使えそうな写真が、これ1枚しかなかったので、やむなくモノクロ仕様にしたのですが、夏場だったので、かえって涼しげで良かったのではなどと、自画自賛しております。 

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プログラム裏面

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プログラムには載せていませんが、ミシェルスペシャルステージは
Les moulins de mon cœur (風の囁き)
Plaisir d'amour (愛の歓び)
L'amour C'est Comme Un Jour  (恋は一日のように)
Je t'appartiens (神の思いのままに)、
センチメンタル (鯨たちというブラジルの曲を、センチメンタルという歌にして日本語でミシェルが歌う)
アンコールが
Emmenez moi (世界の果てに)

ミシェルのステージは、さすがと皆さん満足されたことと思います。
我々、生徒達も、真面目に頑張りました。
真面目な私なのでありますが、歌と言うより話で笑いがでていたのではないかと記憶しております。

今になって思います。やはり、進むべき道を誤っていたのでありましょうか?

遙か昔になりますが、何かを趣味としてを始めようと思った時、悩んだのです。
シャンソンにするか落語にするかと・・・
落語方面に行くべきではなかったかと、今になって思う、今日この頃です。

まあ、終わったんだし、すべて良しとしましょう。

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今回も、着る物がなくて困りました。この歳では、むき出しの腕も見苦しい。
いや、むき出さなくても、充分そのままでも見ぐるしいのではありますが、なにかで隠さなくてはと思って街を歩いていたのです。
商店街で、見つけた夏物最終バーゲンのロングカーデガン。
おそらく、若い人だと膝下丈に過ぎないと思うのですが・・・
それはそれ、短足の利というか、短足の有難さで、私にとっては、足首までのドレスと化したのでした。
この写真を撮ってくれたピアニストさんは、きっと、背が高く見えるよう写真に修正をかけてくれたのだと思いますよ。
私としては、2部で着た、ジャン・フェラもどきのベレーとベスト姿を残しておきたかったのですが・・・
見たら、それだけで笑えますのにね。

とにかく、お騒がせの一日でございました。
お付き合いくださいました、お客様方に、心からの感謝を捧げます。


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最終ライブ有り難うございました

8月5日、巴里野郎での最終ライブでした。
来て頂きました沢山のお客様、本当に有り難うございました。
拙い私の歌に、この半年間付き合って下さった皆様にひたすら感謝でございます。

「誰でも始めから上手く歌えるわけはなく、歌いながら修行していく場です」
とも言って貰いましたが、それでは、アカンやろう、と私の心は申し訳なさに縮んでしまいました。

だいたい、こんな気の小さい人間はステージに向かないのですね。

私なりの精一杯の舞台で申し訳ない思いで一杯でした。
でも上手い下手は横に置いて、この日は、皆さん心から楽しんで頂けたようです。
それだけは安心することができました。
なんでやねん?
歌より、話が面白い・・・
とお客様の顔に書いてありましたような気がするのですが・・・


かなり化けてますやろう!
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私には、歌以前の声を出すための楽器としての体が出来ていないと、改めて感じました。
ただこの間発声練習をしてみて、声を作っていく面白さを、ほんの少しだけ分かりかけたような気がします。
それが出来て、初めて、そこから歌に自分の色をつけていけるのだと思います。
気持ちだけが先走って、下手な色使いの歌であがいている自分が情けなく、他のことには何にも手が着かない日々でした。

心と知性を磨かなくては、生きた歌は歌えない。
そんな偉そうなことを言える人間ではないのですが・・・・

そういう訳で、顔を洗って出直してこれるよう、勉強しなおして参ります。

もっとも、残りの人生が、どれだけの期間を許してくれるやらですが。

やらずに後悔するより、やってから後悔することを選べ・・・

いえ~、今振り返ると、申し訳なさはあっても、後悔はしてないと思います。

感謝あるのみでございます。

またいつの日か、別の形で、皆様とお会いできる日がございますように。
お付き合い、有り難うございました。

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カエル気分でございます

カエル気分って?
梅雨が大好きなカエル君だから?

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いえいえ、やっと自分の世界に帰ってこられた気分がするからです。

先日、一夜のライブを終えることが出来ました。
なんといっても、駆けつけて下さった、お友達のお陰です。
本当に有り難うございました。

今回、私は、すごく悩んでしまいました。
私一人のライブではないので、メインの方に失礼があってはならないと・・・

フランスじゃないのだから日本語で歌うべきだ、という意見をお聞きして、頑張って練習してみたのですが、歌えば歌うほど、自分が嫌になって、どうしようもなくなりました。
もう、ほとんどこれは病気だあ~・・・

で、結局、一番だけを日本語歌詞で歌ってみた1曲と日本の歌を1曲選びまして、後はフランス語だけで歌わせて頂きました。

申し訳ないけれど、仕方ないです。
でも、私には、フランス語の歌詞を、日本語にしてある歌は、どうしても同じ歌に感じられなくて、歌にならなかったのです。
もちろん、プロの方なら出来る事なのかもしれません。
でも、私は、歌が好きなアマチュアにすぎないと、よくよく分りました。
それでは、来て下さったお客様に失礼ではないか!!とお叱りを受けそうですが、一応、精一杯頑張ったと言うことで、許して貰うしかありませんね。

これからは、本当に自分が納得出来る歌、心から歌いたい物しか歌ってはいけない。
それも、人様に迷惑を掛けないように・・・

残り少ない人生、もうかれこれ悩むことはお終いにいたします。

で、今の気分はというと
ふんぞりカエルかな?

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第2回目ライブ報告です

3月18日、午後3時。
京都のライブハウス巴里野郎で、ライブが始まりました。

お天気は、なんとか雨が上がってくれたのが幸いという曇り空・・・
お客様が来てくださるかしらと心配しましたが、やはり宣伝不足で、ございました。
それでも約20人の方々が足を運んで下さいました。感謝感激です。

私には、まだまだお客様に「来てくださいね」という声をかける勇気が欠如しております。
「もう根性出して、プロとして居直りなさい」と言ってくれる友達もいます。
いえいえ、そんなものではない、誰よりも自分が一番分っています。

でも、事ここに及んだら仕方がないではありませんか!
ついに居直りの瑞穂さんとなってしまいました。

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1部はボーイシュにしたつもりで・・・

前回,話がモタモタして時間を食った、その反省から、より簡素化したつもりだったのですが・・・
にもかかわらず、やっぱり、お喋りが過ぎていたのでした。

第1部において,私ひとりで、話を含めて30分近く費やしてしまったのです。
んま~!!本当に、何というお喋りババアかと自分でも呆れてしまいました。
あっという間に時間が過ぎてしまった感じでしたが、時計を見ずに,時間を感じる能力をつけなくてはいけませんね。

共演の吉田さんが、とても優しい方でしたので、怒りもせずに引き継いで下さり、その美しい声で,私の恐ろしい世界から彼女の癒しの世界へお客様を導き、しっかり締めて下さいました。
ということで、第1部は二人で5曲ずつ・・・

第2部は、時間が限られている!
それでも、ついついお喋りをしてしまう私です。
1部が長く,2部が簡単にと言う、頭でっかち尻つぼみというへんてこな構成になってしまいました。
どうか、お許し下さいませ。

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この人、誰?・・
どこかのクラブの大ママの様だねと言われてしまいました。
爆笑スタイルでございます。すごく化けていますでしょう。

このライブについて、後でお尋ねしましたら「あれはあれで面白かった」
そう言ってくださった方もありました。
「笑いすぎて,後ろの壁に頭をぶっつけてしまった」
今度から、シャンソン保険という物を用意しないと行けないかもしれませんね。
そうすれば,あまりの歌の酷さに心臓麻痺を起こした人の保障も出来るという物でございます。

皆様本当に心優しいお客様でございます。
優しいお客様に感謝の気持ちを捧げたい!
そう思って、私は2部の始めに、オーベルニャ人に捧げる歌を持ってきていたのです。
というのはこじつけでございますが・・・


第2回目の出演は、やさしいお客様達と、やさしい共演者のお陰で何とか乗り切ることが出来ました。

今回の歌は
1部
松岡
  白いリラの花が咲く時(スミレの花咲く時)
  パリの空の下
  想い出のサンジェルマン・デプレ
  懐かしき恋人の歌
  帰り来ぬ青春
吉田
  パリのお嬢さん
  想い出のマリツァ
  バラ色の人生
  夢見る想い
  マンマ 

2部
松岡
  オーベルニュ人に捧げる歌
  行かないで
  パダン・パダン

吉田
  愛は貴方のように
  アドロ
  私の悲しい恋物語
  おお我が人生

有り難うございました。

尾形まり子「震災復興チャリティライブ」

3月11日,尾形まり子さんのライブに行って来ました。

どうも、私はこのひと月ぐらい暗い暗い闇夜の状態に陥っていたようです。
息が苦しい、体中が痛い、何よりも、自分はダメだダメだと落ち込んでしまう。
大げさだなあ~と思いながら、死んでしまいたいという気持ちも湧いてくる。
はあ~,人間って、そういう時もあるのです。
でも、ようやく何とか、気持ちが納まってきました。

そのきっかけは、3月11日に行われた「震災復興チャリティライブ」を聴いたことです。

私はチャリティーという言葉は好きではありません。
もともとの意味もよく知らないのですが、自己満足ではないのだろうか?
という疑問が、いつも私のお腹にあったからでしょうかね?
英語で charity ,フランス語の charité 、慈善、施し、となってます。
ラテン語の caritas(尊敬、愛情)が語源だそうで、ああ、それだったらまあ良いわと思えるのですが・・・

そんなことをウジウジ思っているよりも、出来る事で動きたい!
そんな思いに溢れた彼女のライブに行ってみて、私の杞憂は吹き飛びました。

手作りの彼女のチラシには~

東北出身のひとりとして何ができるのか~歌うことで、ほんの少しでも協力できれば~
そんな思いからチャリティライブを企画しました。

と書いてありました。

そしてライブが始まると、子供時代の想い出や友達について熱く語ってくれました。
その熱い思いは人を動かし、自分自身をも大きな力で動かさせるものなのだと教えてもらいました。

企画、チラシ、出演の手配等、身過ぎ世過ぎの自分の仕事もしている彼女、もっとも忙しい時期に全部自分で手配をし、さぞや大変だっただろうと思います。
ピアニストの釋恵一さんの協力、人形浄瑠璃文楽座の三味線奏者・鶴沢藤蔵さんにもスペシャルゲストとしての協力に助けられ、彼女はひとりのライブを貫徹しました。

シャンソン、東北の民謡、南部牛追い歌,懐かしい日本の歌・・・
なによりも,彼女の熱い熱い思いが歌から溢れ、その歌に、涙を流して聞き入っている方々が、そこにはありました。

彼女のお陰で,私はウジウジしていた自分の気持ちが吹っ切れたような気がします。

必死の思いは人に伝わり,感動を呼ぶんだと、そして,歌を歌いたいと言うことは、私の抱えている思いを、あなたに伝えたいと言うことなんだから・・・

その日のプログラム
1部
 我が若かりし頃
 バラ色の桜と白い林檎の木
 街 角
 先生のオルガン
 哀しみの終わりに
 私の村は水の底
 千の風になって

鶴澤藤蔵の三味線演奏

2部
 サン・トワ・マミー
 雪が降る
 ろくでなし
 パリ野郎
 夢見る想い
 愛の賛歌
 コスモス
 いい日旅立ち
 故郷の山(南部牛追い歌~)

釋 恵一のピアノ演奏

岩手山を見て子供時代を過ごしたという彼女、東北弁を交えた「ろくでなし」は客席を沸かせ、南部牛追い歌が,しみじみと心にしみました。

「収益金は,桃、柿育英会 東日本大震災遺児育英資金に協力させて頂きます。」
とプログラムの裏面に書かれてありました。

岩手山の風景です

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今年の予定は終了しました。

この秋、4カ所での歌の発表会やコンサートにチャレンジしてみました。

 9月19日(月・祝)
 坂下文野サロンコンサート
 ホテル姫路プラザ 
  歌ったのは、「HIER ENCORE (帰り来ぬ青春)」
         「INCH ALLAH (インシャラー)」                        

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 9月30日(金)
 奥田佳子教室・シャンソンを楽しむ会
 びわこホール小ホール
歌は 「CHEZ LAURETTE (ロレットの店)」
   「NE ME QUITTE PAS (行かないで)」

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10月22日(土)     
フィレールの会チャリティーコンサート(骨髄バンク支援・東日本大地震被災者支援
宝塚福祉コミュニティプラザ・ぷらざこむ1
   「 SOUS LE CIEL DE PARIS (パリの空の下)」

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10月26日(水) 
サロン・ダコール:シャンソン・ポピュラー歌の祭典 
大阪 大丸心斎橋劇場(大阪心斎橋店北館14階)
 「QUE SERAIS-JE SANS TOI(もしもあなたに会えずにいたら)」
「HIER ENCORE (帰り来ぬ青春)」

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「帰り来ぬ青春」が重複していますが、今年、一番苦労した三拍子のアズナブールをどう歌うか・・・
苦心惨憺した思い出を込めて最後にもう一度と思ったのですが、なんと1番の歌詞から3番に飛んでしまい、なんとかまた、三番の頭に戻ってエンディングに持って行ったというハプニングをやってしまいました。
これに気がついた人が、どれだけ居たでしょうか?
分られていないと言うことも、悲しいことではありますが・・・

色々あったけれど、やらないよりやった方が良かったと改めて思います。

場所も参加者も異なるステージを踏ませていただいて、大変勉強になりました。
決められた時間の中で、お客様を飽きさせない、出演者と歌の構成を考える。
舞台が出来上がるまでの準備の大切さ等・・・
ご指導いただいた各教室の先生方、参加を誘って下さった方々、ドキドキの私を支えてくれたピアニストさんとバンドの方々、それに私の歌を聴きに足を運んで下さった沢山のお友達、中でも「今年はおっかけをしまっせ!」と断言して、本当に4カ所とも来てくれたS君、お礼の言葉もございません。

それに、初めて入れていただいたのに、どこの楽屋でも、暖かく手助けして下さる人ばかり・・・

中でも、宝塚のプラザコムでは、準備から後片付けまで全員で力を合わせて、一緒に作るという充実感がありました。

1回目のステージの後、9月22日に膝の靱帯を痛めてしまい、その後は、厚手のストッキングに、ガードルの上にスポーツタイツを履くという武装完備で、なんとか終えることが出来ましたが、「歌うと言うことは体育会系ですよ」とボイストレーナーさんに以前言われたことを、改めて「その通りなのね」と実感しています。
体育1の通信簿を貰っていた私には、しょせん向かない世界なのかもしれません。

でも、やっぱり、「かっぱえびせん」なのかなあ~
その心は・・・・止められない・止まらない・・というところでしょうか。

仕事としてなさってる方は、この緊張感が、毎日の生活なのか!
私だったら死んじゃうわと思いますが・・・

さあ、木の葉も散る季節になりました。
しっかり食べて、しばし冬眠生活に入りましょうかね?

寝ている間に、瘦せると良いのだけれど・・・・

じゃあ、お休みなさいませ・・・


パリでシャンソン・5

La manière de chanter
(歌い方)
関心のない方はパスしてくださいね。

La voix de poitrine(胸声) と La voix de tête(頭からの声)をensemble(一緒に)使えるようにしなくちゃ・・・
と前のレッスンの時にアドバイスしてもらいました。
La voix de têteって Le fausset(裏声)と同じ意味なのかしら?地声と裏声だと思うのです。

そうなのです。私の自然に出せる地声の音域の限界が現在「ソ」
今やっている  Ne me quitte pasを Dマイナーで歌うと一番高いところが「ラ」になります。
そこで毎回、ずっこけてしまうのです。
強いて裏声に変えると、次に続く所も裏声になってしまう。
「ラ」の部分だけを la voix de tête で出しなさいと見本を同じキーでやってみてくれました。
自分でしてみせるピアニストさんって凄いと思いませんか!
ウラームースラ ロワ のム の部分だけ裏声にと・・・
そこでは愛が王になり・・・の意味なのに、私が言うと「恨む~すら」になってしまいます。
裏声を出す時の注意「plus piano !(もっと弱く)」「plus piano !(もっと弱く)」
ピアノって弱くという意味なのですすね。

これは高度なテクニック、出来るようになりたいけれど、そこに意識が行きすぎて上手くいかない。
それで次の時に1音下げたらどうでしょう・・らしきことを言うと
Fマイナーだったら下がマックスで低すぎるから、でもちょっと下げてしてみようと言ったんじゃないか、そして半音下げてくれたのかもしれません。
せっかくの説明が、ほとんど理解できてないなんて、ああ情けない!

で、最後まで通してみたのですが、何か変・歌の構成が纏まっていないと私自身感じます。
今までもおかしいと思っていたけれど、それは何なんだ??
マチューが言いました。
「Vous parlez bien , vous chantez bien ,mais vous ne respirez pas bien!」
(君は歌詞はちゃんとしてる、ちゃんと歌えてる。でも息継ぎがなってない!)
respirer 息をする・・・これが出来ていない。
緊張して呼吸が浅いまま、息を全部吐き出し切れていないのに空気を吸い込もうとするから、ますますぎこちなくなっていくのです。
2回目にne me quitte pas が3回続くまでの、語りの部分を全部、かなり長い部分を sans respier(息継ぎ無しで)歌いなさい。と言われて、やってみました。
途中で息を吸ってしまうと「sans respirez !」(息を吸うな)とやり直しを言われます。
苦しい、たどり着くと・・・「そこで吸いなさい!」
ホウ~・・体中に息が廻って蘇る感じです。
「C'est la respiration !」(それが呼吸だよ!)

マチューが「座ってください」とピアノの横に私を呼んで自分の腕を引っ張ってみてと差し出しました。
グッと引っ張ると、ガチンと止まっていて、2回目引っ張るとダラリと・・
「Comprenez ? Libre ! 」(分かる?自由ってこと?)
libre(自由)と livre(本)を聞き分けられない私・・・
「フランスも秋は読書週間かしら?」などという発想をしてしまいそうになりました。
「 Libre , contre coincer!」 (自由は固まる(身動きできない)の反対だよ)
これがlibre これが coincer と同じ旋律をピアノで引いて見てくれました。
どっちも見事なんですけれど、coincer の方が音が堅いと感じます。
声を出すのもノビノビと自由な体でなければいけないのですが、私はいつも固まってるのです。

後で録音した物を聞き直したら、この息継ぎを少なく、取るときはしっかり取るのやり方の方が自然な感じに聞こえました。
息継ぎでたっぷり吸わないといけないので、音が止まる感じになるかなと思っていたけれど、そんなことはない。むしろ、始めの浅い息継ぎの歌い方が、急ぎすぎに感じられます。
まあ、それを気づかれない様に出来ないといけないのでしょうが・・・先は長いです。
そして呼吸に気を取られると、発音に気をつけるのをすっかり忘れてしまうし・・

呼吸とリズムが重要だ・・・と最後に言われたと思うのですが・・・
運動神経ゼロの私には、リズムが永遠の課題です。

まるで進歩がないけれど、レッスンは楽しい・・・
それだけでまあ良しとしよう!
さあ、来週少しは出来るようにしたいものです。

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パッサージュのショーウインドウで・・・手作りの指輪でしょうか?

シャンソンの店 ブン BOUM

6月3日金曜日の夜、東京赤坂見附にある、シャンソンのお店に行ってきました。
友達が、そこで歌わせて貰うので・・・との話を聞いたのが切っ掛けです。
東京のシャンソンの店を覗く・・・私の人生の中でそんな経験は、まず一人では味わうこともないだろう。
思い切って「聞きに行くわ!」と叫んだのです。

看板を右から見ると・・・
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左から見ると
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何の予備知識もなく入ったその店は、私には物珍しさで一杯でした。
まず、その狭さにビックリ!お客さんが10人入ったら満席気分になってしまう感じです。
次に壁、天井一面に貼ってある、写真、積み上げられ散るCD、他所の店にはありえないマイクにビックリ!
お店を始められて、おそらく40年の歳月が過ぎていると思います。

銀パリで使われていたという壁の装飾。
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ピアノの向こうの写真は、もしかしたらイブモンタンとピアフでは・・・
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天井にジャン・フェラのポスター、壁には黒髪ふさふさのアズナブールや、グレコ、ベコー・・
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これはもしかしたら、シャルル・トレネのサインかな?上の写真と似てますよね。
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そしてライブの時間となりました。
古賀力さん、芳賀千勢子さんの歌を聴いて、その歌声の何とも言えない、暖かさ柔らかさ・・・
私は新しい歌の世界を見る想いがしました。
着飾らなくていいのです、ありのまま素朴で、なおかつ人生の積み重ねを感じさせる。
なんの気負いもなく歌っているその歌は、本当はとても難しい歌なのだと思います。
それが心地よく、ひたすら懐かしく聞こえてくるのです。
若き日に帰って風に吹かれて自転車を走らせているような「自転車乗り」
芳賀さんの「人生は美しい」聴いていると暖かい涙が溢れてきます。
古賀さんの「アコーデオン弾きレオン」
「ふるさとの山」には芳賀さんのでが山からわき出す木霊のようなハミングというのでしょうか声が重なって何とも言えない雰囲気が醸し出されるのでした。
今まで聴いたことのない曲を沢山聴かせていただきました。
こんなシャンソンがあることを、多くの人にぜひ知って欲しいものだと思いますが・・・

シャンソンの言葉の深さを歌う古賀力
と的確な紹介をしてあるサイトを見つけましたので、ご紹介しておきます。

http://www.nagasaki-np.co.jp/cgi-bin/attocolumn/blog.cgi?n=29

長崎新聞のコラムで、村田久夫さんという方が書いていらっしゃいます。
私の駄文より、これを読んでいただいた方が伝わります。

ジャン・フェラの死を知る

J'ai trouvé un article . 《 LE CHANTEUR JEAN FERRAT EST MORT 》
(私は一つの記事を見つけた「歌手ジャン・フェラ死す」)

17日、ネットの片隅でジャン・フェラが13日に死亡との記事を目にし驚きました。
もっと情報を知りたくて、慌てて情報を探しました。

見つけた日本のサイト。

http://blog.goo.ne.jp/sourire-amour/e/59256ecc15c4de96a5e96b3943dcae72

それでも、日本のサイトでは情報不足。もっと知りたくなってフランスのサイトを探し、必死で訳してみました。

http://www.france24.com/fr/20100313-le-chanteur-jean-ferrat-est-mort

昨夜、あわてて辞書と首っ引きで、訳したものですから、間違いだらけの訳だと思いますが、大体の彼のプロフィールを捉えることができました。
間違っているところがあれば、教えていただければ幸いです。

上記サイト内のビデオで、インタビューに答える彼の姿は、こんな風に歳を重ねることができたらと思うような、とても魅力的な男性でした。

やすらかに神の御許で眠られんことを!
もっとも、彼はコミュニストなので、神様はお呼びでないかもしれませんが・・・






歳はとっても
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昔も
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もっと昔は
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LE CHANTEUR JEAN FERRAT EST MORT
(歌手ジャン・フェラ 死去

AFP - Le chanteur Jean Ferrat, décédé samedi à l'âge de 79 ans, était un artiste engagé, au service de tous les combats pour la fraternité, la révolte et l'idéal communiste, mais également un poète fou d'Aragon, qu'il a interprété avec talent.
AFPより引用ー歌手ジャン・フェラ、土曜日に79歳で死去、彼は政治参加のアーティストだった。同胞の為のすべての戦闘・抵抗、共産主義思想を助け、しかしそれと同時にアラゴンの熱狂的な詩人であり、その才能でアラゴンの詩を演奏した。

Il était l'auteur-interprète et compositeur de quelque 200 chansons.
彼はシンガーソングライターで色々な200曲の作曲家でもあった。

Né le 26 décembre 1930 à Vaucresson (Hauts-de-Seine), Jean Ferrat, né Jean Tenenbaum, a 11 ans lorsque son père, juif émigré de Russie, est déporté. L'enfant est sauvé grâce à des militants communistes, ce qu'il n'oubliera jamais.
ジャン・フェラ、ジーン・トゥノンボ(ペンネーム)は1930年12月26日セーヌ県高原Vaucressonに生まれた。11歳の時に、ロシア移民ユダヤ人の彼の父は強制収容所に送られた。その子供達は戦闘的なコミュニストのお陰で保護された。そのことを彼はけして忘れないだろう。

A la Libération, il quitte le lycée pour aider sa famille, et devient aide-chimiste jusqu'en 1954, date à laquelle il passe ses premières auditions dans des cabarets parisiens.
解放の時、彼は家族を助けるために高校をやめ、1954まで化学者の助手になり、その年、彼はパリのキャバレーの最初のオーディションを受ける。

Après avoir écrit la musique des "Yeux d'Elsa" (1956) pour André Claveau, il chante régulièrement à "La Colombe", puis fait sa première grande scène à l'Alhambra en 1961 où il triomphe avec "Ma môme", et "Deux enfants au soleil".
その後、彼はAndré Claveauのためにエルザの瞳(1956)曲を書いた。彼は定期的に"La Colombe"で歌う、次に1961年、アルハンブラで初めての大きな舞台を持ち、「私の子供」と「太陽の二人の子供」で大成功した。

Rapidement, Jean Ferrat choisit d'interpréter des textes plus engagés, comme "Nuit et Brouillard" (1963), non diffusée par les radios, puis "Potemkine" (1965), interdite d'antenne
直ぐにジャン・フェラは「夜と霧」(1963)のような政治的にコミットする作品を演奏することを選んだ、ラジオでは流されず、次に "Potemkine" (1965)は放送禁止とされた。

Compagnon de route du PCF, sans jamais en avoir été membre, il affirme haut et fort ne pas être un "béni-oui-oui" du parti. Ainsi ses chansons "Camarade" qui dénonce l'invasion russe de Prague en 1968, ou "Bilan" (1980) qui fustige la déclaration de Georges Marchais sur le "bilan globalement positif" des pays de l'Est.

PCF(フランス共産党)のシンパだが、決してメンバーにはされなかった。彼は共産党の唯々諾々とした賛美者にはならず、しっかりと自分の意見を主張した。そうして、1968年プラハへのロシアの侵略告発した彼の歌「同志」、また東欧諸国の"bilan globalement positif"(全体として肯定的な総括)に対しジョルジュ・ムスタキのデコレした"Bilan"(総括) (1980)で激しく批判した。


En 2007, Jean Ferrat s'était prononcé en faveur d'une candidature de l'altermondialiste José Bové comme représentant d'une gauche antilibérale pour l'élection présidentielle.
2007年、ジャン・フェラは一人のl'altermondialiste志願者José Bovéが気に入って、大統領選挙のため左派アンチリベラルの代理人のように意見を述べた

Son dernier engagement politique était dans le cadre de la campagne des élections régionales le soutien de la liste du Front de Gauche en Ardèche.

彼の政治的な最後の義務は、地方選挙の田舎の場所で、アルデーシュ県の前衛左派のリストから支援者を作ることだった。

A la scène, qu'il quitte aprèsjean-ferrat-est-mort un passage au Palais des sports en 1972, il préfère son Ardèche d'adoption, qui lui inspire "La Montagne", l'un de ses plus grands succès.
舞台は、1972年Palais des sportsを通過した後彼は離れた。彼は彼の最大の成功"La Montagne"のインスピレーションをくれたアルデシュ県を選び好んだ。

En 1974 et 1995, Jean Ferrat consacre avec succès deux albums à Louis Aragon dont il met les textes en musique ("Que serais-je sans toi?", "Heureux celui qui meurt d'aimer").

1974年と1995年、ジャン・フェラは、ルイ・アラゴンが曲の作詞をした"Que serais-je sans toi?", (もしも貴方に逢えずにいたら)"Heureux celui qui meurt d'aimer"(幸せそれは愛に死すこと)2つの成功したアルバムに時間を費やした。

Réticent à passer à la télévision, le chanteur sort d'un long silence en 2003, pour l'émission "Vivement Dimanche" de Michel Drucker. Il y défend ses deux passions, la chanson et la politique, s'insurgeant notamment contre la grande industrie du disque qu'il estime dangereuse pour la liberté de création.
Jean Ferrat, qui a été marié à la chanteuse Christine Sèvre, décédée en 1981, avait reçu le prix de l'académie Charles Cros (1963) et le grand prix de la chanson de la SACEM (1994).

TVに出ることをためらっていた、その歌い手はミッシェル・ドゥリュケの"Vivement Dimanche"(元気な日曜日)という番組で、2003年長い沈黙から抜け出した。彼は二つのポジションを守った。歌と政治、彼はとりわけ創作の自由に対する危険な評価をするレコードの大企業に強く抗議する。
ジャン・フェラは1981年に亡くなった女性歌手クリスティン・セブルと結婚した。彼はCharles Crosアカデミー賞を受けた(1963年)、またla chanson de la SACEM のグランプリも(1994)




私は
Que serais-je sans toi? (もしも貴方に逢えずにいたら)
この曲に興味を持ち、原曲を探していてユーチューブで見つけたのが昨年です。

彼の歌声に、何とも言えない魅力を感じました。

不思議なことに、日本語に歌詞が置き換えられると、まるで違う歌のように感じがちがってしまいます。
曲のイメージ、フェラの歌う時の、明るさ、希望のイメージが無くなり、暗い諦念の歌になってしまう。

仏語と日本語の言葉の響きが本質的に違うからなのか、それとも歌に対するイメージの持ち方が異なるのか?

おそらく彼のくぐり抜けてきた、様々な体験と、それでも人間を信じて生きてきた心の叫びが、アラゴンの詩とかさなり、私たちの心に響いてくるのだと思います。

言語の違い、感性の違いを超えて、なおかつ歌いた!

そんな曲を送り出してくれた、ジャン・フェラとアラゴンに、追悼の酒杯を捧げます。




8月12日 単独初ライブ

初めての単独ライブ。
祇園のシャンソンのお店「サントロペ」を貸していただき、
8月12日、午後2時半から、5時まで、やり通しました。
聞きに来てくださった方は43名の大盛況で、危うく立ち見になるところでした。感謝、感謝です。

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つたない歌と、怪しげなおしゃべりでしたが、最後には、一緒になって歌い出してくださる方もあり、まあ、私なりの歌が歌えたかなあ~と思っています。
全20曲、フランス語で、どうにか歌いましたが、発音が、まだまだなってないのでしょうね~
勉強していきたいと思っています。
歌った歌は下記の通りでございます。
今は、もうバテバテ状態ですよ。

           1部

INCH ALLAH                  (インシャラー)
Ma Solitude                   (私の孤独)
Mourir d'aimer                  (愛のために死す)
Padam ..Padam ..                 (パダンパダン)
Le Temps des Cerises             (サクランボの実る頃)

           2部

Je Le vois sur ton visage           (分かっているよ)
Sans toi ma mie              (サントワマミー)
La Boheme                (ラ・ボエーム)
Mademoiselle de Paris             (パリのお嬢さん)
La vei en roze               (バラ色の人生)
Ademain sur la lune              (明日月の上で)

     3部
L’ Âme des Poèt        (詩人の魂)
Palez – Moi D’amour          (聞かせてよ愛の言葉を)
Quand Refleuriront Les Lilas Blancs     (リラの花咲く頃)
L’Amour C’est pour Rien         (恋心)
Hymne  L’Amour         (愛の賛歌)
Les Feuilles Mortes        (枯葉)
Tombe La Neige        (雪が降る)
Sous Le Ciel de PARIS       (パリの空の下)
Mon Amant de SAINT-JEAN    (サンジャンの私の恋人)