思い出のサンジェルマン

091031-02

ここがサンジェルマン?
いえ、アラブの庭園です・・・・まさか!
本当は京都駅ビル7階東広場です。
こんな場所があるとは知りませんでした。
西の伊勢丹側と違い、人通りもまばらでひっそりスポットです。

京都駅ビルの7階に、小さな映画会場があります。
駅ビルシネマ
映画好きの友達に、授業の帰りに連れて行って貰いました。
常時映画をしているわけではないようです。

10月が姉妹都市映画祭 http://www.rcsmovie.co.jp/kikaku/2009/0901.htm
ということで、31日の今日がその最終日の最終だった訳です。

「ほう!パリと姉妹都市なのか?」と感心していたら・・・
パリだけではないのです。
ボストン・ケルン・フィレンツェ・キエフ・西安・グアダラハラ(メキシコ)・ザグレブ(クロアチア)・プラハ
なんと9都市!京都を入れると10人姉妹ということですか?

なんで姉妹都市で兄弟都市って言わないんだろう ? 疑問でした。
都市はフランス語では女性名詞なんです。
だから、「フィレンツェ・キエフ・西安の町ではね・・・」と話すとき
「Elle sont・・・」(彼女達は・・・) との言い方をするので、姉妹なのかあ!
と今思い至りました。
これでは人生悟にたどり着くまでには数百年はかかりそうです。

70人ぐらいでいっぱいになりそうな可愛い映画館です。
そして、「思いでのサンジェルマン」はドキュメンタリー映画でした。
1946年頃と1960年代をフラッシュバックさせながら、名前だけ知っていた著名人、サルトル、ボーボーワール、それにデビューしたての46年と60年のジュリエット・グレコ 本人達が・・・
ボブスタイルが定番のグレコも始めはロングヘヤーだったのか!
目の前でジャン・コクトーが自分の詩を朗読するのです。
サンジェルマン・・・いつもいつまでも前衛的な芸術の溜まり場なのか?
この若者達は、今はどうなっているのでしょうね。
60年代、それは世界中がロックに流れアメリカ化して行ってた時代だったんだ。
サンジェルマンのビルの地下でモンキーダンスを踊り廻って陶酔してる若者の映像を見て、そう思いました。
そういえば、私もそのころ神戸界隈のゴーゴー喫茶に連れて行って貰ったことがあったっけ・・

想い出と重ねながら、流れてくるなめらかなフランス語にいつしか瞼が落ちておりました。
午後3時間の授業で草臥れきった後では、なかなか瞳が開いてくれません。
とても興味深かったのです。
が、めちゃ面白い・・ことはなかったので・・・
すみません。
でも京都シネマは時々他では見られないような映画をしてくれるので、これから要チェックと思いつつ帰ってきました。


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いまどき風でない看板

歩いていて近所でふと見かけた看板です。
なんとなく面白くて・・・・

みだりにゴミを捨て無いようにしませう


  
091029-01

「みだりに」というのも古風で良いけれど、なんといっても
しませう が効いてますよね 
疲れているときに、ホッとする気持ちになれました。

この1週間不眠の原因になっていたことが、なんとか解消いたしました

昨日は胃痛まで起きてしまいましたが、今日は気持ちも快晴!

人間って、分かるようで分からない。
時には言葉が邪魔になる。
口で言っていることと伝えようとしていることが全然違うと感じるとき、
「私はどうしたらいいの!」 パニクリます。

その点、手話は分かりやすい!
この事とは関係ないのですが以前
「私は手話が下手です」と四苦八苦して話そうとしていたら。
二本指を目の前に・・・「見る」
右手で胸をなで下ろす・・「分かる」
つまり
「見れば分かる!」
です。 ストレートで気持ちの良いこと!

言葉は時には凶器でもあり、壁でもある。
にもかかわらず、自己表現として一番大きな部分を占めている。

車の運転ではないけれど、「言葉免許証」を自分の中でつくろうかな?

ホッとして、あれこれ思う夜です。 
 

眠れなくて

 やっと、朝の4時になったようです。

先週から、ほとんど眠れない夜が続いています。

1時頃寝付いて、「朝かな?」と思うと2時半。

それから、本を読んで見たり、でも、それは目が疲れるから・・

CDをかけたり、タイマー30分ごとに設定しては延長する。

ある夜は、このくらいならもう起きていようと机に向かっていると6時にです。

そして朝食を食べて、8時頃から意識朦朧という感じで、1時間ほどソファーでうたた寝してしまうのであります。

やっぱり、こういうのって不眠症というのでしょうかね。

薬は飲みたくないので、根性で過ごしていますが・・・・

気にし出すと、夜中に胸がドキドキしてくる。

ちょっとした、人の言葉がきっかけで、この状態が始まっていると思い当たるのですが

私って、こんなにも気の小さい人間だったのかなあ!

と自分で自分にビックリです!

こんな根性で、今までよく生き続けてこられた。

むしろ「エライ、エライ」と誉めてあげるから、いい加減眠ってくれ!

いや眠らせてくれ・・・と言いたいです。

つい先日まではヨット日和だったのに

右手に見えるのは沖島でしょうか?
10月18日、沢山のヨットが琵琶湖に浮かんでおりました。
私のデジカメではこれくらいが限度ですが・・・・
クリックしてみてください。かなりの数がということは分かります。
あ~、良いカメラが欲しくなりますねえ~。

091018


秋というのに、まだまだ昼間は歩くと汗ばみます。

昔の10月はもっと寒かった様な気がしませんか?

それでも、今年は雪が早いのかもしれません。

なぜなら、今年はカメムシを頻繁に見るのです。

カメムシの多い年は「雪が多い」と滋賀県に住む友達が言っておりました。

本当かな

それが当たっているかどうか  今年の冬の楽しみです

ラジオ講座活用術

明日から新学期が始まるというのに、まったく何にも手を付けていない。
キャー、かなり焦りまくりですが・・・
仕方がない、この心境を何というのだ・・・・
「穴をまくる」もしくは「尻をまくる」
こんな言葉をフランス語で表せないよね・・・と思って「穴」で辞書を引いたら出てきました。

monter sur ses ergots.
(怒った雄鳥のように攻撃的な態度を取る)
なんか、これちょっと違う気がしますね?

じゃあ居直る・・・これならどうかしら?
devenir brusuquement meaçant.
ふいに威嚇的になる・・・かな?

どっちにしても、私には出来そうにない。
一言で言うと、あきらめる・・・・でしょうか?

renoncer à  (~をあきらめる)
se résigner à  (~を諦めて受け入れる)
désespérer de (~で絶望する)


2番目の
se résigner à  (~を諦めて受け入れる)
が一番ピッタリ来るみたいなので、これで行きましょう。

Je me résigne à mon travail .
私は自分の勉強を諦めちゃいました。

こんな事を書いて遊んでいるのですから、ほんとうに私穴をまくってますね。

それに、ラジオ講座も活用しています。
下の写真がそうです。
どこがラジオフランス語講座なのって?
このペンダントの中央の柄が、ラジオ講座テキストにあったナントの教会のステンドグラスの写真を切り抜いた物なのです。

画像


お友達の創作展で、私が買えそうな範囲で選んだペンダントです。
ステキでしょう!
中に、貴方の好きな物を何でも入れることが出来ます。
彼の写真を入れて持ち歩きたいのですが・・・・
該当者なし!
そこで選んだのがこれです。
私の魂は、いつも神と共にあるのだろうか?
出来たらフランス語の神様が、降りてきてくれないかしら・・・・
と思いつつ、朝を迎えてしまいそうです。
本当にやけくその今日でございます。

近鉄特急は二階建て

12日、奈良の桜井まで用事があって出かける。
奈良方面に行く事は滅多にないので、京都から近鉄急行を乗り継いでと思っていたら、同行の友人がJA奈良線で案内してくれた。
ネットで検索した時に思い至らなかったルートだ。
近鉄の路線は難しい気がする。
そして乗換駅もなり場が分かりにくいので、知らない駅は充分時間を取っておかないと予定の電車にのりそこなうおそれがあるので要注意。
そして特急は、有料ですので、阪神、阪急のつもりで乗り込まないようにね。
もちろん、私たちは急行乗り継ぎで行きました。

大和八木のホームに入ってきた特急です。
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特徴は二階建てです。
091012--01

これは見送ります。勿論。

お知り合いの人が「親子二人の創作展」を桜井でされていたのです。
コート、ベスト、ワンピース。帽子・・・それに手作りのブローチや小物・・・
普段手に取ってみることなど出来ない作品を、お試しにと着せてみて貰いましたが、勿論私には買えません。
自分のイメージを、自分の手で、こんなステキに作り上げることが出来るのかあ!
と感心しつつ、まったく不器用な私には、夢の世界と思って、拝見させていただきました。

帰りは西大寺の友人宅で夕食をごちそうになり夜の電車で・・・・・
ウトウトしていたら、駅についても、電車が動かない・・「どうしたのかな?」
終点の京都駅でした。
危うく、再度出発の所でした。

元気に過ごせたと思ったのはこの日までで、翌日から腰が痛い!膝が痛い!
纏めて疲れが出てきたようです。

疲れが出てこそ、私の普通に戻ったのだと納得している今日です。

慌てず、スローライフで行きましょう!

大切な人を送るときに思うことは・・・

5日未明に兄が亡くなった。
長い闘病生活であったが、彼はあえて通院だけで最後を迎えたがっていた。
しかし、1週間前ぐらいから体を起こすことが出来なくなり、5日に入院させることに成ったと聞き、私は2日の日手伝いの為に飛んでいった。

私の経験から見て、かろうじてでも動けるときの介護と動けなくなったときの介護は、まるで様相が違うのだ。
経験がないと、どうして良いか分からないままに時間は刻々と過ぎてしまう。そして後になって、ああしたらこうしたら良かったのにと思う。
せめて、その悔いを少しでも少なくするためにと・・・

兄の場合、起き上がれなくなり数日で、もう床ずれになりかけていた。
着いて直ぐに、体を横向きになって貰い、マッサージと蒸しタオルで暖める。
体を横向きにする時、まだ膝を自分で曲げることが出来るので、大丈夫と一安心。
だが、飲食をほとんどしない。
ほんの少量ずつ、お膳に並べて「どれか好きな物を食べてみて」と料理の得意な義姉さんは、毎回心を尽くして並べるが、茶さじ1杯は2杯をもぐもぐと噛みなかなか嚥下が難しい。
口元に持って行っても、食べたくないと横を向いてしまう。

「お兄ちゃん、頑張って食べて元気になってね」 と手をさすりながら言うと
ささやくような擦れた声で「もう無理よ」と答える。
「もう何も食べなくても良いと思ってるでしょう?」と聞くと
ニヤッと笑ってうなずいたような気がした・・・・

もう、すっかり覚悟は決めているのだなあと思う。
が、「水分を取らないと苦しくなるから水気だけは取ってくれ」と願う。
しかし、一口飲むと喉のあたりがゴロゴロと鳴って、すごく苦しそうに咳き込んでしまい、液体も、一口二口で拒否してしまうのだ。

在宅で過ごしたいと病院でも意思表示はし続けていた。

そこで思うのだが、長期にわたる癌患者の家族には、介護の講習会などを病院でしてくれたら、かなり介護の要領が分かってやりやすいのではないだろうか?

4日の夜。
「明日は介護タクシーに来て貰い車椅子で行くと言っているけれど、担架にしなくては無理だと思う。」と義姉さんに話していると、背後のベットから「大丈夫だよ。」と話しかけてきた。
男のプライドというか、寝たままでは絶対行かない。
着替えてちゃんと座っていくとしっかり意思表示をする。
なんという根性だろう!!

そして翌朝、気がつけばベットの中で自分で両腕を組んで、静かに冷たくなっていたのです。

まったく自分の予定通りに行っちゃたのね!と私は思った。

葬式も、家族葬で、ごくシンプルにという希望だった。
しかし、どうしても、親戚友人は、駆けつける。
だからという訳でもあるまいが、台風18号が直撃してきたので、ほとんど誰もが来たくても誰も来られない交通事情になったのです。
そこで、もしかしたら、これも彼の意思力か・・・・などと思ってしまうのでありました。

葬儀は故人の意思に沿って、まっとうするのが何よりだと思うが、親戚や会社等、いろいろな思惑を考えると、世間付き合いに流されてしまいがちになる。
だが、義姉さん子供達が、故人の気持ちに添ってシンプルで暖かい葬儀にしてくれた。

人生の締めくくり。
家族から心より愛されていた・・・・・・それが何よりの餞ではないだろうか。

そして私にも、今まで沢山の愛を・・・・お兄ちゃんありがとう。

091007-01


091007-02