黄斑上膜手術後記・・・後発性白内障手術

2009年8月に黄斑上膜の手術をし、その後の経過は、近所の林眼科で継続してみて貰っています。

春に「次は6月頃来て下さい」と言われていたのだが、気が付けば9月になっていました。
21日、8時半に行ったら、もう診察待ちの人が沢山並んでいました。
診察は9時からだから、近くの公園で朝の空気を吸って来ても良いだろうと時間を潰す。
戻ってみると「名前を呼んでましたよ」と他の人に言われ(でも、なぜ私の名前だと分ったのだろう?)慌てて受付に行きました。

先生の診察前に検眼をしなくてはいけないの順番に読んでくれていたようです。
まず、器械におでこをつけて、風を瞳に吹き付ける検査(これって、何を調べるんだっけ?)

次に視力検査です。
いつも悩むのが裸眼時に「これは」と示されると、乱視なので二つ三つにブレて見えてるのです。
目を細めれば切れ目が分るけれど、そのままの目の開き方では分らない。
で、「目を細めてはいけないのですね」と看護師さんに尋ねます。
ぼんやりとしか見えていないけど、視力表の記号の文字の空き部分が右なのか左なのか何となく分る。
それで「見えます」と言ってしまっても良いものだろうか?


検査表

120925m

見えると言えば見える、ぼやけると言えばぼやける。
どう返事をしようと悩み、結局「分りません」と答えてしまいました。

すると、後の診察で「視力がかなり落ちてます」と言われました。
私としては、本当に落ちてるのかな?という疑問も残るのですが・・・

2年前にした目の手術、黄斑上膜の時に私の右目には白内障の手術も同時にしてレンズが入っているのです。

この日、そのレンズを包んでいる膜が濁ってきているので、手術をしましょうと言われました。

「時間があったら今すぐでも良いですよ」とのことなので、それならばと、即、手術です。
ゴチャゴチャ迷わない! 女は度胸ですよね。

待合室で、目薬をさしてもらい、しばらく待ち、麻酔が効いてきたところ診察室に入ります。
先生が、目に小さいレンズのようなものを押し当てて、バチバチと音のするレーザーを当てていくのです。

痛みは全くありません。
しかも、カバーの様なものを目蓋に当てられいて何も見えていないのですが、視神経は形は感じないけれど色を感じます。
見えていないのに、暗い中に真ん中に四角い光があって、周りがレーザーの当たる時、赤い色が走るのです。

この感覚は映像では伝えられないなあ~と思いました。

そして先生が「時間があったら」と言われた意味は時間だけでなく「お金も持ってきていたら」と言うことではなかったのかと、手術を受けながら思い至りました。

足りなかったらどうしよう?
一瞬焦りましたが、何とか手持ちのお金で会計もクリヤー出来ました。
もし足りなかったら・・・
食い逃げで無くって、手術逃げと言うことのなったののでしょうか?


後の感染予防のために点眼薬を処方され、それで完了です。

その日からプールに入っても良しということでしたが、念のためにその日は安静に過ごしました。

手術後の感覚。

目の中にいくつかのゴミが浮いている飛蚊症のような感じが二日ほど続きましたが、後は特に問題はありませんでした。

ただ、前回の手術でも、そうでしたが、特に見えやすくなったということもなく、手術の必要があったのかしら?
と不思議な感じです。

ただ、最近、文字を読み違えやすくなっていました。
ホワイトボードに書かれた文字が、すごく見えにくい。
目が疲れて、両目ともすぐ涙がにじむ。
だから、今回手術しておいて良かったのかなと思いました。

でも次の診察で聞いたら、それは白内障というより疲れ目だそうです。

今日になって、飛蚊症の感覚は軽減してきましたが、まだ何となく霞む感じが付きまといます。

まあ、歳なんだから仕方がないと思うしかないでしょう。
気にしない、気にしない!人生結果オーライです。

まあ私の人生・・・あれこれあっても、文句なし!!
と言っておきましょう。

120920-01

これは京都駅で見かけた、JAのコマーシャルです。
スポンサーサイト

薩摩スチューデント、西へ

続いて、図書館夏コーナーの、もう1冊は、林望(はやし・のぞむ)「薩摩スチューデント、西へ」です。

120925-05

著者の林望という名前をハヤシノゾミさんかと思っておりました。
何と骨太な感じの文章を各女性かしらと思ったら、男性だったのですね。

1865年4月、日本の年号だと、元治二年(慶応元年)3月に薩摩からイギリスに船出し、翌年1866年から67年にかけて分散して帰国した薩摩藩士達の軌跡です。
留学生として15人の若者、彼らを引率し、英仏を視察、外交交渉もした4人、計19人のメンバーでした。

その頃の日本は鎖国政策をとっていましたので、全員偽名で行動。上海まで密航し、そこからは豪華客船の一等船客としてイギリスまで行きます。
イギリスでは、まず高級ホテルに泊ります(今の値段で一泊25万ぐらいだそうです。留学生は一晩だけ、視察の大人は、その後もホテル滞在だったとのこと)
その後、大きな家を1軒借りて、メイド、語学やその他を指導してくれる、家庭教師夫妻、秋からは大学にも通うという、至れり尽くせりの留学でした。
今の価値にしたら、何億という金額を使っての勉強となるでしょう。その頃の薩摩藩は日本で一番先進的な藩であったのかもしれません。

私が驚いたのは、留学生として選ばれた人達の年齢です。それから、彼らの吸収力のすごさ、時代を数百年飛び越したような欧米の文化、そして、異なる食生活、彼らはそれをあっという間に受け入れます。
日本人って適応力がすごいなあ~と感心した次第です。

彼らは、ヨーロッパにおいて、まったく日本と違う世界を根底から学び、しかも即戦力となる知識と行動様式を持ち帰らなくてはいけない。20代の若者がメインですが、13歳、15歳という子供まで入っているのです。さぞや秀才だったのでありましょう。

そして、彼らは何時まで生きたかというと、死亡年齢。20代、40代、50代、60代とバラバラですが。82歳まで生きた人が最長、次が78歳で天寿を全うしたと書いてありましたが、今、78歳で天寿とは言わないでしょう・・・
人が生きることの出来る時間とは、陽炎のようにはかないものだと、つくづく感じたのです。

satumaetudiant1

その当時の年齢と死亡年齢 上の写真右上から
名越兵馬   21歳  死亡年齢不明
東郷愛之進  23歳    26歳(戦死)
村橋直衛   23歳    50歳(行き倒れ)
高見弥一   31歳    53歳
畠山丈之助  23歳    34歳(結核)
中村宗見   25歳    62歳
市来勘十郎   24歳    不明    
森金之蒸   23歳    不明
satumaetudiant2
吉田巳二   21歳    47歳
松木弘安   33歳    61歳(結核)
鮫島誠蔵   21歳    36歳(過労による脳出血)
町田申四郎  19歳    不明
田中静洲   23歳    不明
磯永彦輔   13歳    82歳
町田民部   28歳    59歳
町田清蔵   15歳    不明

=======================    
この写真の人達の分った死亡年齢も書いてみました。
政府の高官になって過労死した人もあり、世をはかなんで出家した人、戊辰の役に従軍して戦死した人もあり、汚職事件から蒸発して最後は行き倒れという人もあり、13歳だった磯永彦輔くんは長沢鼎という名に変わり、カリフォルニアの葡萄王と呼ばれて82歳でなくなったそうです。
13歳と言っても、この写真では、まるで小学生です。でも金時計をぶら下げてふんぞり返っているのが可笑しいです。

この本では、日本しか知らなかった若者達が世界を見た驚きと、それを越えようと意気込む姿が書かれていました。
その後、この若者達が、どう変って行ったか、それぞれが、一つずつのドラマになりそうです。
人間にとって、幸せとはいったいなんでしょうか?

私にとっては、心安らかに生き、穏やかに死ねたらなあ~・・・
それが、一番の幸せかもしれません。

それにしても、何時の時代も、国と国との駆け引きの中で世界は動く。
強者でなければ、食い尽くされるのでありましょうか?
お人好しでは生きてはいけない、人でなしでは生きる値打ちがない。
生きるって難しいものですね。




もろに水問題の本=水惑星の旅

先日、図書館に行った時、夏特集コーナーというものがしつらえてあって(水関係の本を並べた一角があったのです)で、その中から2冊選んで来た1冊が椎名誠の「水惑星の旅」(新潮選書)

「水惑星の旅」
水惑星とは、私たちの住む星、地球。その水惑星とは、我々の住む星、地球のことでした。
日本には「湯水のごとく」という表現がありますが、これを読むと今や水がいかに限られた資源であるかと分かり、水を大切にしなくては、つくずく思いました。
ダミー会社を通して、山林ごと地下水が外国に買い占められてしまいそうになった例もあるらしく、日本は、水に対して、あまりにも危機感がなさ過ぎるということでした。
世界的に見たら、人口爆発(1999年に60億人を超したとそこにはありましたが、今調べたら、国連の2011年版「世界人口白書」によると、2011年10月31日に世界人口が70億人に到達したと推計されている。1900年16億人1950年におよそ25億人となり、20世紀末の1998年には60億人というスゴイ速さです)
そういうことで飲み水が不足しており、今ある水に頼っていては無理、海水を淡水化したり、雨水を循環する環境を作って補っているいるところも多々あるのです。

120925-01

この本の中で紹介してある「地球がもし100cmの球だったら」(永井智哉、文、世界文化社)によると

「もし地球が100cmの球だったら地球の表面は全部で2畳ほどの広さです。そのうち1畳半弱が海で覆われています。海の平均の深さは0.3mmほどしかありません。海水は全部で660cc,体積にしてビール大ビン1本分ほどです。」
とのこと!!
その1本分が14億立方キロメートルということになるようです。
直径1mの地球の677ccの水のうち大半は海水で、淡水はわずか17cc。そのうち12ccは氷河などになって氷結しているから、飲み水として流通している淡水はわずか5ccでしかないという。その小さな地球に住んでいる人々が利用できる淡水はスプーン一杯の量なのだ。とは椎名氏の文章からです。

なんと、スプーン1杯・・・それはものの例えではありましょうが・・
人間とは限られた空間の中で(宇宙の中の銀河系、その隅っこにある太陽系の中の水たまりに浮くゴミのような地球)、限られた時間の枠の中で(おそらく太陽が活動を終わるずっと前に地球の環境は生物が生きていけなくなる)、水、空気、食料が偶然に与えられて、かろうじて存在している、奇跡的な存在なのだと改めて思います。

きっと今争いになっている領土問題は、これから先の資源の確保をしなくてはという思いがあるのでしょうね。
今あることを感謝して、争わずに生き残る道をさがそうではありませんか!と私は、言いたくなるのでありました。

椎名さんのすごいところは、何でも知りたいとなったら実際に世界の果てまでも行って調べる。
そして井戸まで、水の無い場所を選んで自分達で掘ってみる。
自宅に雨水貯水樽を実際に据え付けて使ってみる(180リットル容量で費用は約10万だそうです)
浄水器も購入して、溜めた水を飲んでみる。
この実地に行うすごさだと思います。
200ページに満たない本ですが、体で行動し、参考文献で調べてあって、しかも、私のような素人が読んでも、たいへん面白いのです。
最後の書いてあった参考文献が、ざっと数えて40冊。
私は、椎名さんの本は「怪しい探検隊シリーズ」とか「岳物語」ユーモア溢れる方面しか今まで読んでいなかったので、なんと、やる気になったら徹底的にやる人なんだと感心したのでありました。

これで、定価1100円では、元も取れないんじゃあと、余計な心配をしてしまいました。
いや心配しなくても、私が知らないだけで、ベストセラーになってるのかもしれませんね。
とにかく図書館で借りたのでは、申し訳ないから、あらためて買って来ましょうと思わせる本でありました。



鬱は鬱でも老人性・・・だったのかな?


飛行機雲を見つけました。

120919-02

 ある日思ったのです。
「毎晩、夜中から明け方に目覚め眠れない、そして、体中が痛い。気力が出たと思えば、1時間後に落ち込んでいる自分がいる。これは、もしかしたら・・・アレではないのか?」
そこでネット検索してみました。
おう、これこれ、3つの症状を除いて、ほとんど該当しております。

それは何かと言いますと・・・老人性鬱病でした。

老人性鬱病の治療方法について のサイトです

そうかあ~・・・鬱は鬱でも、老人性と名がつくとピッタリ感がでるのだ!

その主な症状だそうです
  1. 不眠が続く(人によっては過眠になることもある)
  2. 何でも悪いほうへ悪いほうへと考え心配する
  3. やる気が起きない
  4. あれこれいろいろな思いが浮かんで考えがまとまらない
  5. 食欲がなくなる(反対に過食になることもある)
  6. 疲れやすい
  7. いつも憂鬱な気分で、特に理由も無いのに泣けてくる
  8. 前まで好きで楽しんでいたものに興味が無くなる
  9. 焦ったりイライラしたりする
  10. 自分を責めて、「生きている価値がない」などと思う
  11. 自殺を考える

5,の食欲がないは該当しません。
  食欲があろうとなかろうと三食をしっかり食べる。
  親からすり込まれた、この本能とでも言える習慣が私をしっかり支えてくれているのでした。
7 憂鬱になります。けれど泣くのは誰かいてくれてこそ・・・一人で泣いてもしゃあないです。 
11 自殺を考える・・・まあ、今のところ大丈夫です。

ということで、それ以外  2,3,4,6,、8,9,10, 全部あっています。

特徴として

午前中に特にひどく、午後から夕方にかけて改善していくことが多いようです。このような憂鬱な気分を感じているときには、体の痛みや倦怠感などの身体の不調が出てきたり、イライラして怒りっぽくなることもあり、単なる性格の問題と勘違いされてしまい、うつ病だと判別できにくいため、注意が必要です

とありますが、午前中は、本当に体が動かない、痛い、気が重いの日々であります。
何かをしようと思って動こうとしても、他のことへ途中で考えが飛んで、しかけていたことを忘れる。
手順を考えるのだけれど、アレコレつまずき、前に進まない。そして、やりかけのまま、次に次にと、やらなければいけない事(いや、しなくたって世界に影響はないのですが・・)が溜って、イライラが募る。
たとえば、ブログを更新しなければ・・・と思いながら、気力が湧かない、書こうとすれば、疲れて机に伏せって寝てしまうとか・・・

何より大きな特徴としてあるのが、自分を責める・・・ではないでしょうか?
新聞やTVで、尖閣諸島問題とかの国際紛争を報道されれば・・・
「ああ、それもこれも、人口が増えすぎて資源の奪い合いが始まり争いを起こすのだ。私なんか、早く死んで仕舞わなくてはいけない。」
つまり人口減少に貢献しなくてはいけない・・・という事ですね。

「年金問題?2050年にはetc・・・。ああ!生きていてごめんなさい。」
本気でそう思ってしまうのですよね。

日本経済新聞に掲載されていたイラストより
これの載っていた、ひどいコラムを読んで落ち込んでしまいましたね。

120601-01


何かがあると、自分が責められている様な気がする。
そんな考え方はしなくていいのだと分っていても、気分はどんどん沈んでいくのでありました。

他人様が、何か提案すると、それをしなくてはいけない義務と感じてしまう。
「出来たらしてきて下さい」は私にとって
「して行かなくてはいけない」に、いつの間にか変っているのです。

私って、こんなびいじけた小さな心の人間だっただろうか?
そうです。仕事をでも、遊びでも、つい自分を追い込むという人間だったのです。

鬱病の治療と予防について

でもできるなら仕事をしたりボランティア活動に参加したり、習い事に通うなどして社会とのつながりを常に絶やさないことが大切です。しかしだからといって無理をする必要はありませんよ。自分の体力と相談して、自分のペースで自然散策をしたり旅行に行ったり、新しい趣味を始めてみたりして、楽しみをたくさん持ってください。そして、最も簡単で効果的なのは毎日笑うことです。嘘で笑っているだけでもなんだか楽しくなってきます。笑いは体にとてもいいことなんですよ。お笑いの番組を見てもいいし、家族や友達とおしゃべりして笑ってもいい。とにかく明るく毎日を過ごすことがうつを防ぐ最良の方法です。

分ります。すごく、よく分ります。
でも鬱の症状になっていたら、こうすればいいと頭で分っていても、笑う気になれないものですよ。

しかし、だいぶ改善してきたので、こうして分析する事も出来るのだと思います。
原因は、かなり閉じこもり状態が続いていた事
足腰の痛みが進んで、歩けなくなるのではという不安感etc
それらが、大きな要因かなと思います。

解消法は
外に出て、とにかく人に声を掛ける。
話と言うほど内容のあることでなくて良いのです。
あんまり立ち入ったことを話すと叱られますし、宗教観、政治問題なんて話し出すと不和のもとですからね。

最近は、ほぼ毎日出かけるジムで、プール友とでもいう顔なじみが出来てきました。
まあ、老若男女ならぬ老々女々ですが、新しいこと、出来ないことを一生懸命クリアーしようとする姿は、皆子供のようです。

今年後半は、本気で健康をとりもどそう!と頑張っております。
いや、もともと無かったものだから、作っていこうでしょうかね?







明石銀座をブラブラと

 近くて遠い明石という街に、17日、久しぶりに出かけました。
須磨明石と言えば、源氏物語で光源氏が、流罪にされ、我が身の不運を嘆いた場所であります。
でも、こんな季候が良くて(冬暖かく、年間を通して天気の日が多い)。
その上、魚介類は新鮮、野菜も美味しい。その上、穏やかな海の景色。
どこに、おっちゃん文句があんねん!
と言いたくなるような、結構な場所でございます。

それに、流罪と言ったって、新快速で1時間ちょっとで行けるねんでえ~・・・
まあ、平安時代には、電車がなかったからねえ。
私には、清盛さんが、都を福原(今の神戸)に持ってきたかった気持ちも分らんではないです。
きっと、あの小父さんは、暑がりだったのでしょう!
京都のジメッとした蒸し暑さより、海風の吹くからっとした夏の方がしのぎやすいですからね。

車窓から見える、明石大橋です。
「えっ!橋の向こうは、もう四国なの!?」
とビックリしたのですが、向こう岸は淡路島でした。

120917-00

「なぜ姫君は明石におじゃったのでおじゃりますか?」
実は、「明石フィルハーモニー管弦楽団第12回定期演奏会」なるものを聴きに行ったのです。
日頃、クラシックとは馴染みのない私ですので、寝ちゃったらどうしようと心配していたのですが、うっとりと聞き惚れてしまいました。
もしかしたら、うっとりと、少しまどろんだかもしれませんけど・・・

この日は、グスターヴ・ホルストの 組曲「惑星」の演奏がありました。
ホルストの惑星という名前だけは知っていましたが、通しで聴いたのは初めてでした。
平原綾香さんが歌っているJupiterというのが、この組曲の第4曲のメインメロディーなんですね。

第1曲 火星、戦争をもたらす者
第2曲 金星、平和をもたらす者
第3曲 水星、翼のある使者
第4曲 木星、快楽をもたらす者
第5曲 土星、老いをもたらす者
第6曲 天王星、魔術師
第7曲 海王星、神秘の神

私は第2曲の 平和をもたらす者 というのが結構気に入りました。

1部で、呉 信一さんのトロンボーンの演奏。
ラストで、舞台裏でバックをささえていた、明舞女性コーラスが部隊に呼ばれて、日本の唱歌「ふるさと」を歌ってくれましたが、心にジーンと響きました。
終わってから 「やっぱり、日本の歌は良いわね」と友達と話し合ったのでした。
こんな歌を聴いていると、国を超えて人の心に届かないだろうかと思わされます。
でも、今中国で歌ったら、石が飛んでくるのかな?
何とかならないのかしら、今の外交は・・・・・
と意識が、他の世界にも行ってしまいましたが・・・

まだ、大陸と日本列島が繋がっていた頃には、領土問題など無かったことでしょう。
そのころ居たのが、アカシゾウなのです。

120917-04

会場を出れば、手すりに雀たちが並んでいましたが、これは置物。

120917-05

その前にお昼を食べたのが、季節の松茸ご飯定食。
明石名物の鯛がついてます。しかし、魚は、やっぱり対馬でっせ!
と一言、故郷自慢を・・・

120917-03

日本のどこに行っても、銀座はある。
明石銀座を歩いて帰った一日でした。

120917-01

ある日のインタビュー

前学期の最後の授業で貰ったプリントを、どこかにやってしまいました。
ぼやいていたら、クラスメートが、その文章を全部ワードファイルに書き写して送ってくれたのです。
なんて親切な人でしょう。
quelle gentille ! Merci,Yoshiko .

おかげで、もう諦めようかと思っていたフランス語を、もう一回頑張って見ようと勇気が湧いてきました。
「継続は力なり」
いつかある日、授業を聴いて「全部分るわ!」
なんて日が来ることでも、夢見ながら続けましょう。

さて、ある日のインタビューのテキストを訳してみます。
赤字の部分は、すごく怪しい訳だと思います。

分ってないところも沢山ありますが、根性を入れて頑張って見ました。
最後に、トーボールの写真と、説明のサイトをご案内しておきますので、参考にしてください。

======================================

● Bonjour, est-ce que vous pouvez vous présenter en quelques mots,s'il vous plaît?
 こんにちは、簡単に自己紹介をしていただけますか?よろしくお願いします。
  en quelques mots いくつかの言葉で=簡単にとしてみました
○ Bonjour,je m'appelle F.G, je suis retraité depuis seize ans et actuellement,je vis à Pyla-sur-Mer, près de Bordeaux.
こんにちは、私はF.Gと言います。16年前から退職して現在は、ボルドーの近くのPyla-sur-Merで生活しています。

● Quelle était votre profession?
お仕事は何をなさっていたのですか?
○ Je faisais partie de l'Education national, et j'étais professeur d'education physique et sportive. Je ne connaissais pas le monde des aveugles et j'ai fait une carrière quasiment intégrale,sauf une année où, euh, j'ai décidé pour euh,couper un peu le cours des choses, de rejoindre l'Education nationale pendant un an et ensuite, je suis revunu à l'Institut national des jeunes aveugles où j'ai terminé ma carrière.
私は公教育の仕事を受け持っていました。そして、私は物理とスポーツの教師でした。盲人の世界の事は知りませんでしたし、1年間を除いて、ほとんどずっと、一つの職業に従事していました。ん~、私は決めたのです。う~、一年の間、公教育に関する色々な講義を少し止めようと・・次に、私は最後の仕事として若い盲人達の国立学院に戻ったのです

Je faisais partie de~ は~の一部としてしていた partie は名詞の部分という意味と思っていいのでしょうか?
  quasiment ほとんど intégrale 全部の、完璧な
● Donc,vous étiez professeur de sport pour les aveugles, c'est bien ça?
 盲人のスポーツの先生をなさっていて、良かったですか?
○ Voilà.
 ええ 
● Comment est-ce qu'on devient professeur de sport pour les aveugles?
Bon, vous avez dit:"C'était le cours de la vie" mais,euh,vous aviez une attirance pour ce milieu?
 盲人のスポーツの先生にどのようにしたらなることが出来るのですか?
 あなたは「それは人生勉強だった」とおっしゃいましたが、ん~、その内容に魅力を感じたのですか?

C'était le cours de la vie それは人生の授業だった????です。
attirance 好み、魅力

○ Absolument pas. je ne connaissais absolument pas le monde des aveugles. J'en avais rencontré deux ou trois comme tout un chacun dans,dans les rue des grandes villes,mais,euh,je n'ai pas été formé, euh, pour ce type d'enseignement.
とんでもない。私は盲人の世界については全く知りませんでした。皆さんと同じように大きな街の中で二人か三人の盲人に出会ったことがあるだけです。だから、ん~、やらされたことはありませんでした。ん~、こういうタイプの授業は・・
former 形づくる、作る

● Alors,euh, j'ai du mal à imaginer quels sports est-ce qu'on peut faire avec des aveugles,avec des gens qui ne voient pas...
 ええと、どんなスポーツが目の見えない人達、盲人達と一緒に出来るのかイメージし難いのですが・・
○ Euh,pratiquement,euh, la plupart des sports sont accessibles, puisque même les sports qui requièrement a priori,euh, l'apport visuel, comme le tir à l'arc, par exemple,est tout à fait accessible pour les aveugles.
 ん~、実際に、ん~、ほとんどのスポーツが可能ですよ。経験から言って、求められるスポーツは、ん~、たとえばアーチェリーのように l'apport visuel,盲人にとって完全に可能です。
l'apport visuel 分りません。

● Donc on peut tout faire,il n'y a pas un seul sport qu'on ne puisse pas...
 だから、全部出来る。出来ないスポーツは一つもないということですか?  
○ Non, parce que même dans le cadre des...des sports collectifs...euh,moi,personnellement,je faisais jouer mes élèves non-seulement au torball,mais ça ,c'est relativementfacile, parce que les équipes restent à distance les unes des autres, et jamais donc, euh, n'investissent le terrain opposé,
いいえ、というのは、やはり制約があります・・集団でするスポーツ・・ん~、私の個人的な見解ですが・・私は、トーボールを一人だけでなく、私の生徒達としたことがあります。でも、それは割合と簡単です、なぜなら、チームは他の人と自分と距離を置いて居られます、そして、けして、相手チームの場所を占拠しない。
mais, par contre,...le torball,oui, ça s'écrit TORBA deux L, c'est un terme allemand qui signifie " la ball au but", "tor", c'est le but et " ball", comme ballon.
でも、その代わり・・トーボール。それはTORBAふたつのL(torballの綴りのこと)それは的に「ボール」「tor」は的、「ball」は風船のような物を意味するドイツの(専門)用語です。

(集団でするスポーツは盲人には難しいが、この人の個人的意見として、トーボールは例外的に簡単だという意味なのでしょうか?)

● Euh, j'imagine que vous n'aviez pas des classes très très nombreuses...
  え~、貴方はとても人数の多いクラスを受け持っていなかったと思われますが・・・
○ Non,nous avions heureusement des classes à effectifs relativement réduits par rapport à ce qui existe évidemment dans les...dans les lycées ou colléges,...Euh, disons qu'en effectifs, par classe, se situait entre dix et quatorze élèves.
 はい、幸いなことに、当然あるとおり、割合限られた人数のクラスでした。高校でも中学においても・・ん~、実のところ、クラス分けされて、10人から14人の生徒数でした。

● Ce sont des élèves de...de quel âge?
 それは何歳の生徒達でしたか
○ Et bien moi, je j'étais chargé de...d'un collège et d'un lycée,c'était l'Institut national des jeunes aveugles, c'est-à-dire des jeunes de onze ans,jusqu'en terminale,c'est-à-dire dix-neuf,vingt ans.
私が受け持たされていたのは・・中学と高校で、それは若い盲人の国立学院でした。つまり11歳の若い子から、19歳二十歳の最終学年までと言うことです。

● Est-ce que vous avez un bon souvenir à nous faire partager?
 私たちに分けて頂ける素敵な思いでをお持ちですか?

○ Je me suis aperçu que j'avais des élèves, en particulier en gymnastique sportive, barres fixes,barres paralléles, qui étaient quand-mêmes d'un excellent niveau et pouvaient concorir contre les voyants.
私は、鉄棒、平行棒、特に体育の出来る生徒を受け待っていたと気づきました。彼らはとりわけ優れたレベルで、目の見える(競争相手達)に対抗して競争しました。
en particulier 特に concorir 競争する、競う les voyants 目の見える人達
Et,euh, en championnats de Paris, j'ai eu un élève qui a eu la médaille d'or en barres paralléles. Je crois que, c'était un moment extraordinaire,de,de,de,de voir que, qu'un de mes élèves qui était quasiment complètement aveugle pouvait justement damer le pion à...à des enfants euh, à des jeunes voyants.
それで、ん~、パリの選手権大会において、平行棒で金メダルを取った一人の男生徒を受け持ってました。それは、素晴らしい瞬間でしたよ・・・ほとんど全盲の私の生徒の一人が、ちょうど子供達を、若い目の見える人達を負かすのを見たのは・・
quasiment ほとんど damer le pion à ~を負かす

● Umh, c'est incroyable, oui. j'ai entendu dire aussi que vous faisiez du ski avec vos élèves.
 うーん、信じられないことですね。生徒さん達とスキーもされるとも、お聞きしたのですが・・・
○ Oui,alors, je suis allé très souvent en classe de neige et en classe de mer aussi,d'ailleurs, et en classe de neige,euh, évidemment, euh...
 はい。それで、、私はよく、雪のクラス(冬の林間学校)海のクラス(夏の臨海学校)によく行きました。さらに、雪のクラスでは、ん~、もちろん・・・

==========================================
トーボール
目隠しをしてボールを転がし、相手チームのゴールに入れてその得点を競う視覚障害者の球技
torball-1

1チーム3名のプレーヤーからなる2チームの対戦形式で行う。競技時間は10分、前半と後半それぞれ5分に分かれている。選手は目に目隠し用のパッドを装着し、さらにその上からアイシェードないしゴーグルをつける。

torball1-2


ウィキペディア日本語の説明
 Troballe-Wikipedia


mon dico2 ・Bibracte

Mon dico de l'histoire de France
(フランスで購入した小学校低学年の本「フランス歴史の私の辞書」) からです。
その2

「うわ~、これは何だ?豚の埴輪か!」
と思ったのが、この挿絵です。
そこで、埴輪と言う言葉に対応するフランス語があるのかしらと和仏辞書を引っ張り出したら。
haniwa とあって墳丘を囲むや家屋、馬、人、等を表すテラコッタの置物という説明がついていました。

Bibracte

120819-04

Bibracte est une place forte établie sur le mont Beuvray dans le Morvan.
C'est la capitale du plus puissant des peuples gaulois: les Éduens.
Son emplacement est considéré aujour'dui comme le premier site archéologique français.
ビブラクトゥはモルヴァンの中のBeuvray山の上にある建てられた要塞です。
それはガリア人のうちもっとも強力な、エデュエヌ人の首都です。


Bibracte était protégée par un fossé profond et entoûrée d'une muraille de 4m d'épaisseur, le fameux 《mur gaulois 》,long de 5,25km et constitué de pierres, de terre et de grosse poutres en bois.
ビブラクトゥは、深い堀と名高い「ガリアの壁」と言われる厚みが4mある城壁で囲まれています。長さ5.25kmあり、石と土と木製の太い梁で作られています。

En cas de donger, les paysans et leur troupeaux se maittaient à l'abri à l'intérieur de cette enceinte où était stockés des vivres.
危険な時には、農民とその家畜の群れは、食料が備蓄されているこの囲い中の避難所に身を隠します。

les Éduens (エデュエヌ人)は、ガリア人の中の部族の呼び名のようです。ギリシャ語でaithô(燃焼、発火)の意味があるとか、火を噴くように闘った勇士達だったのでしょうね。

==================================

120904-02map
(le mont Beuvray南側からの眺め)

なるほど、古墳の様な感じの山です。
場所はどこかといいますと、下の地図、赤いマークの辺りです。

120904-01map

さしずめ、フランスの邪馬台国とでも言うところでしょうか?
ローマ軍とガリア軍の間で、さぞや、激しい戦闘があったのでしょうね。
だって、豚まで鎧を着てるではありませんか!

おや?牙があるから、これって豚でなくてイノシシだったのかも・・?
だったら、トンだ間違いでした。
今の今まで、豚だと信じ込んでおりました。
2000年前にこれを作った人、ごめんなさい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もっと詳しく知りたい方は、le monte Beuvray でご覧下さい。

夢うつつ騒動

120825-02
湿気の多い夏でしたが、たまにはこんな天気の日もありました。
左側の盛り上がりが霊山岳、次に権現山、蓬莱山、打身山、ここらは琵琶湖バレーといわれるスキー場の山頂だと思います。その向こうは、ずっと北の山々、比良岳、南比良峠あたりかな>
一番右のポッコリしたところは堂満岳だと誰かが教えてくれたように思います。
最高峰の武奈ケ岳(1214m)は、山並みに隠れて、我が家の窓からは眺めることが出来ないのです。
頂上を見たければ、歩いて行きなさいと言うことです。
いつか、もう一度、武奈が岳から西南稜を歩いてみたいという夢が捨て切れておりません。
まあ、家から眺めるだけで終わるかもしれませんが・・・

120825-01

さて、目を転じれば、琵琶湖の東岸が見えます。
左側の三つの山に見えますが奥島山のようです。
沖島というのが、この写真では見えませんが、左側にあります。
琵琶湖の東側を西側から眺めた風景です。


今年の夏は、この景色を見ながら、ほとんど家で過ごしました。
どうも冬以来の気鬱が続いていて、都会に出かける元気が出て来ませんでした。
そして今のところは、体作りにせっせとトライしております。
午前中は近くに出来たスポーツクラブで、ソフトな日替わりメニューをします。
気功体操、骨盤矯正体操、ソフトヨガ、自彊術、リラックスヨガ・・・
ダンスエアロとか、パワーヨガ、ステップ等、足腰がしっかりしていないと出来ないものは敬遠し、ひたすらストレッチと呼吸法関係の教室を試しているのです。
そして、夜は、週3回から4回、水泳入門講座のクラスに入って、クロールから始めて、今、背泳ぎの練習に入っています。
泳いだ後は、お風呂に入って帰る。
ということで、水の中を少し歩くだけの日もありますが、ほぼ毎日行っております。
「なんて、健康的なの?」と思って下さる方もいるかもしれませんが・・・
一人暮らしだと、家でお風呂に入るのも面倒になので、
「赤い手ぬぐいマフラーにして」(南こうせつ・神田川を分るのは団塊世代以上か!)
と横町の風呂屋がわりです。

でも、そんな繰り返しだけでも、いいかげん、バテております。

泳いで帰って、グッタリとTVの前に寝転んで、夜中になってしまうこともしばしばです。
声も出ない・・・唄を忘れたカナリア状態でもあります。

一般人は、体を動かし健康な汗をかいて、スッキリするらしいのですが、私は、うたた寝の後、目覚めると、体中が痛い。湿布、塗り薬、時には鎮痛剤と夜中に一人大騒ぎをし、睡眠薬を飲んで、やっと、また眠りにつきます。
だいたい12時から1時、時には3時ぐらいに飲む睡眠薬ですが、あまり効果は続かない。
でも寝付ける事は確かなので、つい頼ってしまうのですが・・・
飲んだ後いつの間にか眠っている。

このところ夜中に怪しげな行動が増えている私です。

1,津波の怪 
先日8月31日の深夜、とても怖い夢を見ていました。
雨が降りしきり琵琶湖の水かさが増してくる。でも我が家は11階だから浸水の心配はいらないよね。と思っていたら、なんと!ベランダの手すりの所まで水があがって、しぶきが部屋に打ち込んできてる。
すごくリアルな感覚でした。
「津波だ!」そんな馬鹿な!
で気がつけば、TVがついたままで、フィリピン沖で地震発生、津波注意報を絶えず流れていたのでした。
気がつかない間に寝ているのでTV、電灯、扇風機がついたまま・・・
原因は、これだったのですね。反省です。

2,みたらし団子の怪 

朝目を覚ますと、シーツにべったり茶色のシミが張り付いている。何なのこれは?
起き上がるとパジャマの脇にもべったりと付着していて、なんと竹の棒がぶら下がっているではありませんか???
思いだしてみました。
睡眠薬を飲んで、それでも眠れないから文庫本を読みつつ、ふと思ったのです。
「冷蔵庫に入れてあったみたらし団子、賞味期限は今日までだったのでは?」
で、勿体ない精神で、冷蔵庫から引っ張り出して来たのでしょうね。
でも、そんなに食べたいわけではない。
なんとなく団子をかじりながら本を読み、いつの間にか眠ってしまっていた。
薬って、気がつかない間に効くんだ・・・!
これはやばい!
本当に、危ない小母さんモードに近づいております。

でもそれに輪を掛ける真打ち的な、すごい出来事か起こっていたのです。

3,深夜の携帯電話の怪 

夜中、それも深夜の2時3時に電話を掛けてくる人って、どんな人?なんて非常識な人でしょう!
と常日頃思っている私です。
所が先日、友達から午前中に電話が入り
「昨夜2時頃、あなたから携帯に電話を頂いたようなのですが、何かあったの?」
「そんな時間に電話するわけ無いじゃないの、ちょっと履歴を見るから待って」
待って貰い携帯を見ると、発信履歴にありました。それも2時8分に。
記憶が全くありません。
そして 2時19分に 他の友達にも
重ねて 3時22分に、まったく知らない人の番号にも掛けていたのです。

「恐い~!」
と自分でも思いました。
意識をなくして徘徊するのももう間近か!!

で、よくよく考えてみたのですが
原因は、布団の周りに.ぶっちらけているリモコンの数々ではなかったのか?
私、寝る時は本を読みながら、もしくはTVを見ながら、うたた寝状態で入ります。
そして大抵12時、1時頃に目が覚め、それから眠れなくなるのです。
そこで睡眠薬を飲むと、意識がもうろうとしてきて(自分ではもうろうのつもりはない)、手近に雑然と置いてあるリモコンに手が伸びる。
「電気、TVをけさなくては」と・・・
つけたままのエアコンのリモコン。扇風機のリモコン、そして寝室にしている電灯のリモコン、隣の茶の間のリモコン、それにCDのリモコン。その数5本です。
それらと一緒に、携帯電話が混じっていたのでした。

電気を消すつもりで、携帯電話のボタンを押し、TVを止めるつもりで、ボタンを押す。それでもTVが消えないので、めったやたらとボタンを押して、それが実は携帯電話であった。で、知らないお宅の電話番号をならしてしまったのだろうか?

これが考えられる一番の原因ですが。
これは一般的に「寝ぼける」という病状でござますが、でもねえ~

携帯のふたを開けて、ボタンを押して、もしくは履歴ボタンから、そして発信・・・
この作業をリモコンと間違えるかしら?

まったくの謎です。

それ以来、携帯電話は、手の届かない所に置くことにしました。

もし、真夜中に、私から電話が掛かったらごめんなさい。

そして、翌日教えて下さいね。

日々、未知の自分との遭遇を繰り返す私です。

120814-f3

ネバー・ギブアップ

授業が分らん.ついて行けない!
相変わらず同じ事をぼやいていますね。
でも、never give up と自分に言い聞かせています。
それって、フランス語ではどう言うねん?
グーグル翻訳で
ne jamais abandonner 
となっていましたが、あっているのかな?

夏休みに入る前の最後の授業は、ギブアップを知らないような一人のスポーツマンの話題でした。
ところが、私は、そのプリントを無くしてしまって、録音を聞き直しても分らないし、本当にギブアップしてしまおうかと思ったのでした。

でも気を取り直し、Rue 89 と言う、インターネット上の記事だと先生が話していたので、その記事を必死で探し出したのでした。
見つけました!!
でも先生のプリントは、記事を丸写ししたのではなくて、シンプルにしてあったようですが・・・

Aux JO, le record du monde du tir à l’arc battu par... un aveugle
オリンピックにおいて、世界記録が破られた・・・一人の盲人によって

Ce vendredi, L’archer sud-coréen Im Dong-Hyun a brillé lors des épreuves de classement. A 26 ans, il a réalisé un score de 699 points pour 72 flèches tirées, battant ainsi son propre record du monde (696).
この金曜日、韓国のアーチェリーの選手イム・ドンヒョンは試合の際に輝いた。26歳、彼は自己の世界記録(696)を破って72矢で699ポイントのスコアを実現した。
(ainsi のニュアンスが、もうひとつ分りません)

La performance est vraiment impressionnante pour une raison assez incroyable : Im Dong-Hyun est aveugle. L’archer a une acuité visuelle de 1/10e à l’oeil gauche et 2/10e à l’oeil droit.
この成果は信じられないような理由により本当に印象的です。イム・ドンヒョンは盲人です。この射手は左目が0.1右目が0.2という視力です。
aveugle 盲人と辞書に載ってますが、日本では視覚障害者という表現を使うと思います。それに0.1で盲人と言うかしら?私も右目は0.1何ですけれど・・・?

Il voit dix fois moins bien qu’une personne sans handicap. il serait incapable de compter les doigts d’une main à plus de trois mètres.
彼は障害のない人のようにはよく見えない。彼は3m以上では片手の指の数を数えることが出来ないだろう。
Il voit dix fois moins bien (彼は10回よく見えない=充分に見えない)と言うことか?ここは絶対可笑しいのではないかとおもいますが・・・

Difficile de réaliser la portée de son exploit, dans un sport qui requiert de l’attention, de la concentration, de la précision et, a priori, une excellente vision.
注意力、集中力、そして、これまでにおいては、優れた視力を必要としたスポーツにおいて、彼の好成績の射程距離を実現するのは難しい事です。
a priori= これまでの体験(経験)によると・・・というような意味でしょうか?
普通に使われる言葉だそうです。
空を見て 《 A priori , demain, il va faire beau. 》 
「これだったら、明日は晴れだろう」と言う風に使われるそうです。
前に体験した事から類推すると・・・といった感じでしょうか?


Et pourtant, le jeune archer tire en plein coeur d’une cible située à 70 mètres !
にもかかわらず、この若い射手は70m先に置かれている的の中心に矢を射ました。

Il ne distingue pas vraiment les ronds concentriques, ni les couleurs, ni les lignes. Pour lui, la cible s’apparente « un tableau impressionniste “, aux contours flous, aux coloris qui se fondent et s’entremêlent.
彼は、色も線も、同心円を描くそれらの丸い的を正しく見分けることが出来ません。彼にとって、標的はぼやけた輪郭といい、溶けて混じり合った色といい、「印象派の絵画」とよく似ています。

Dans une interview en mars dernier :
‘Avec ma vision, quand je regarde la cible, j’ai l’impression que des peintures de différentes couleurs ont été plongées dans l’eau.’
この前の3月のインタヴューの中で「僕の視力で的を見る時、僕は異なった色の絵が水の中に沈められている様な印象を受ける」

‘Je me suis adapté à mon handicap’
「僕は自分の障害に慣れている」

En compétition, le sportif ne porte ni lunettes, ni lentilles correctives. Juste des lunettes de soleil. Il l’expliquait dans une interview accordée en mars dernier :
試合において、スポーツマンは眼鏡もコンタクトレンズもつけない。サングラスだけです。彼は、この3月に許されたインタヴューで、そう説明した。
en mars dernier  その前の3月だと思ったのですが、3月末なのだろうか?

‘Ma vision a toujours été mauvaise. Je me suis adapté à mon handicap. Je concours au plus haut niveau, et il n’y a pas besoin de corriger ma vision. D’ailleurs, je me demande parfois si une meilleure vue n’aurait pas des conséquences négatives sur mes performances.’
「僕の視力は、いつも悪かった。僕は自分の障害に慣れている。僕はより高い水準を競うし、僕の視力を直す必要はない。それに、僕はよく自問自答する。もし、僕が良い視力だったら、むしろそれは、僕の成績にはマイナスの結果となっていただろう。
ここのところですが、条件法になっているので
Si,j'avais un meilleure vue, ça n'aurait pas des conséquences négatives
という事だと先生が説明してくれてました。


Im Dong-Hyun aux Jeux olympiques de Pékin le 11 août 2008
2008年8月11日、北京オリンピックにおいて、イム・ドンヒョン
120902-imdong

Le Sud-Coréen a débuté le tir à l’arc à l’âge de 10 ans sur les conseils d’un professeur.
この韓国人は、一人の先生の助言により10歳でアーチェリーにデビューした。
Dans un pays qui domine ce sport depuis des années et qui a beaucoup investi pour rester au sommet. Im Dong-Hyun est le produit d’un système ultra-performant, lui qui doit régulièrement demander à ses partenaires d’entraînement s’il a bien touché la cible.
数十年前からこのスポーツが圧倒的な影響力を持ち、頂点を維持することに勢力を注ぐ国において、イム・ドンヒョンは、超強力なシステムの申し子だ。彼は的にとてもよく当てるので、恒常的にトレーニングをすることを彼のパートナー達に頼まないといけない。

この部分、すごく私には難しいです。
的に当てたいならばという願望の意味かと思ったのですが、s’il a bien touché 複合過去なので、今まで成績が良いので、もっとトレーニングをと言う意味なのかなと思いましたが・・・間違ってるかも?


Il ne cesse d’améliorer ses performances depuis le début de sa carrière sportive. En 2004, pour sa première participation à des Jeux olympiques, Im Dong-Hyun remporte la médaille d’or par équipe.
彼は、彼のスポーツのキャリアのデヴューからずっと成果を向上させる事止めない。

Surnommé ‘The Blind Archer’
「盲目の射手」とあだ名をつけられた

Rebelote à Pékin, quatre ans plus tard. Il excelle aussi aux Jeux asiatiques, dont il remporte le titre en 2006. Et il domine régulièrement ses concurrents durant les épreuves de Coupe du monde.
4年後、またもや北京で、彼は2006年のアジア大会において、タイトルを獲得するという、また抜きんでる成果を上げた。そして、彼は、この世界カップの試合の間中、ライバル達をむら無く圧倒した。

Bref, c’est un des meilleurs archers du monde.
一言で言えば、それは世界の最優秀選手の一人だと言うことだ。

Tout ce qu’il lui manque, c’est un sacre en individuel aux Jeux olympiques. Avec ce nouveau record du monde, ‘The Blind Archer’, comme l’a surnommé la presse, a toutes les chances de taper dans le mille.
彼に欠けている唯一のものは、それはオリンピックにおける個人での栄冠だ。この新しい世界記録で、マスコミが彼に名付けた「盲目の選手」は的の中心を射当てるという幸運を射止めた。
Tout ce qu’il lui manque
彼が彼に欠けているそのすべて=彼に欠けている唯一のものはという訳にしましたが、これで良いでしょうか?

====================================

こんな訳になりましたが、また、どこか、とんでもない部分があるかもしれません。
クラスの皆さん、チェックをよろしくお願いいたします。

そして、なんと言うことでしょう!!
9月に入って、無くしてしまったと思っていたプリントが出て来たのですよ!
この記事のほぼ半分は必要なかったのでありました。
授業で使っていなかった所まで、必死で格闘して、ものすごく損をした気分であります。
いえ、苦労は宝だと思わなくてはいけませんね・・・トホホ・・・