私はモラルがない la moral le moral

秋になると、心も体も冷え込んで、憂うつになる人が増えてきます。
先週の授業は、そんな言葉を沢山学んだのです。
先週の授業は22日だったのですが、カレンダーを間違えていました。

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感化されやすい私は、学んだ言葉に影響され、すっかり、その状態に落ち込んで1週間を過ごしました。
そういうことで、宿題があったのかどうかさえ覚えておりません。

私は鬱(うつ)なんです。と言うとき avoir を使うのか être を使うのかどっちでしょうね?
la déprime は病気と言うより、うつ的状態
la dépression は病名としての鬱病だそうです。

私は鬱ですについて、このような使い方は可能なのか?

j'ai la déprime.
je suis déprime.
j'ai la dépression.
je suis dépression.

今週は、まるで復習が出来て無くて、今朝から焦って少ししていますが。

Je suis irritée. イライラしてる
J'ai des maux de tête.  頭が痛い mal が複数になるのがナチュラルなんだそうです
J'ai du mal à se lever.  起きにくい
je n' envie pas de rien faire.   何にもしたくない
Je suis triste.   私は悲しい

Ça veut dire que je n'ai pas le moral.

と言う事は、私はモラルがない と言うことだ。


このモラル
la moral
女性名詞だと道徳、倫理、つまりモラルのことですが
le moral
男性名詞になると 気力とか精神、士気という気分を表現するのですって

je n'ai pas le moral. 
私は元気がない

心がひたすら沈んで落ち込む。暗黒です。
Je broie du noir.
noir は真っ黒、 broyer は砕く、すりつぶす=真っ黒になってしまった=落ち込んでます。
この動詞の活用もややこしくてイライラします。
je broie
tu broies
il broie
nous broyons
vous broyez
ils broient

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表情はこんな感じです

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他の例を持ってくるとしたら
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さあ、もう時間がない!
Je dois partir tout de suite.

タイムアウトです。では・・・・



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思い出の中にあった場所に

子供にとって、転校すると言う事は、かなり厳しい経験です。
私は、父の転勤という事で、小学校、中学校、高校を、それぞれ途中で転校しなくてはいけませんでした。

それから今まで、小学生としての生活を過ごした場所を訪れたことはありませんでした。
それはまた、3歳から小学4年まで暮らした家の場所も、思い出の中でのみあったと言う事です。
20日、私は、博多駅から地下鉄に乗り、《唐人町》駅で下車してみました。
私の記憶の中にある通りは、舗装されてない土の道で、時々、荷車を引いた馬が歩いていたのですが、すっかり代わっていました。
母の着物の袖にすがってついていった買物は、とても大きな商店街だと思っていたのですが・・・
かわいらしい唐人町商店街
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信号の角を曲がって北に進めば(子供の時には大通りにも信号などありませんでした)
私が通っていた当仁(トウニン)小学校がありました。
唐人=当仁 その読み方を変えてトウニンとしたのかどうか分かりませんが、珍しいよびかたです。

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なぜか正門前に、カッパの親子が立って迎えてくれます。
この像は1988(昭和63年)に、この通りが整備されたときに置かれたそうです。
私が、この町を立ち去って10年後ですね。
お父さん河童(カッパ)は徳利を肩に抱え、お母さん河童は魚を手に持ち、子供の河童は何も持っていない・・・
いえ、子河童が持っているのは夢だそうです。
なかなか、いい話ではありませんか。
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金網越しに校庭を見れば、体育の授業をしている模様でした。
勝手に入ってはいけないだろうと正門に廻って、中を見せてもらえるか聴いてみようと校舎の玄関のドアを押したのですが、受付には誰もいないので、悪いけれど、黙って西門に向って歩いてしまいました。
校庭の西側では、子供達が絵を描いていました。
不審者が入ったらいけないと、最近はかなり厳重な警戒がしてあるのかなと思ったのですが、私だと、遠目には小学生に見えるのかもしれません。
それにしても、こんなに小さい学校で、こんなに狭い校庭だったのか!
子供の目には、身の回りの世界が、いかに大きく見えていたのかと思います。
しかしあの頃、この狭い校舎に一年生を一クラス50人として、12クラスを詰め込んでいたのです。
先生方も大変だったことでしょう。
西門から出て南に歩くと、お寺が二つあったはずです。
お寺の数え方は、一軒二軒ではないですよね。一棟二棟というのもなんか?一寺二寺・・・ううん、分からん。

思い出の中にあったお寺は 大圓寺と言うのか!
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そして、もう一つは 正光寺でした。
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叱られるような事をしたら、このお寺の墓地に置いてくるぞと、よく脅かされていました。
兄ちゃん達は、人魂の跡が墓石にあったとか言って脅かすしと、色んな事が思い出されます。
小さな私にとって、恐怖に満ちた広大な墓場だと思っていたのですが、町中の小さな墓地でした。

我家のあった場所は、もしかしたら、この辺りかな?今では定かではありません。

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子供の時に、水着を着て浮き袋に体を入れたまま駆け足で走っていった海岸は、埋め立てられ遠くになっていました。
かなりの距離を突き当たりまで歩くと、しっかりと整備された港になっていました。

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渚に沿って作られた西公園への遊歩道を歩いて行くと、昔の眺めが、そのままに目に飛び込んできました。
そうそう、真ん中に小さな島があって、左手に遠くの山が見えるこの景色。
小さかった私は、引っ越しするのが悲しくて、一人で夕焼けの海を見つめて
「絶対この景色を忘れないぞ!」と一人胸にたたみ込んだことを、ありありと思い出しました。
そしてまあ、驚いたことに、私が現在住んでいる琵琶湖の風景と、本当によく似ているのでした。

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なぜか、私の中で、過去と現在がようやく一つの延長上に結びついた気がしたのです。
誰もいない海。
記念に自分の画像を入れたいなあと思ったのですが、カメラを自動シャッターで押せそうな場所もないと思っていたら、ちょうど自転車で魚釣りに来た人がいたので、シャッターを押してとお願いしました。
もう一つやなあ~・・・モデルが悪いって事かあ~
まあ、どうでもエエけど・・・

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この後、西公園を西口から登り、東口から下りて大濠公園駅に出たのですが、頂上で一回りしたら、方向感覚が狂ってしまいました。

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もともと、方向音痴なのですが、南に向いていると思い込んだ方向が東だったのです。
通りがかりのマダムに、駅までの道を尋ねたら、
「まだ10分ほど先だから、一緒に行ってあげよう」と駅のすぐ側まで、話しながら歩いて下さいました。
本当に私って、世話のかかる人間です。
昔話に花が咲き
「昔は、大濠公園に進駐軍(アメリカ軍)のかまぼこ兵舎があってねえ~」
とのお話しに、あった、あったと思い出しました。
昭和30年代は、敗戦後の占領下のもとで日本国民は生きていたのでした。

かまぼこ兵舎(昔の写真をネットから探してきました)
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生活の苦しい時代の中で、両親は必死で子供達を大きくしてくれました。
私達は、あの当時としたら、とてつもない豊かさを手に入れたかもしれません。
でも、失った物の大きさは何だったのでしょうか?
この写真のかまぼこ兵舎が立ったのはいつなのでしょうね。おそらく1945年か46年頃でしょう。

そして、女性が参政権を与えられ、初めて投票できたのが1946年だったのです。
まだ、70年経っていません。
私の母は、投票権を得たことが嬉しくて、一度も棄権したことはないと、元気な頃に話していました。
そして、夫に何を言われようと、自分で決めた政党に投票したと・・・
投票できる権利を持つこと、それは、素晴らしい事だと言うことを、私達は忘れています。
暴力を行使せず、政治を変える事の出来る権利です。

今度の選挙で、日本軍が、海外でかまぼこ兵舎をあつらえる時代に戻るようなことをさせてはいけませんね。

JRパニック・・・不吉な予感大当たり

私は旅行が、どうも苦手な人間なのです。
これまで、ほとんどすべてが準備されていて、それに便乗するのが当たり前という旅行ばかりでした。
この秋、福岡に行かねばと思いながら予定がなかなか立てられず、1週間前に、やっとJRの窓口にチケットを申込に行ったときのことです。
私が計画していた列車は「満席です。」とのつれない返事。
平日の新幹線、予約席の一つや二つは有るであろうと思っていたのです。
日を変えるしかないかと悩みつつ、1週間後を聞いたら、それも満席とのこと。
どうしようかなと迷って、予定していた1本後の列車を見て貰うと「1席だけ空いてます。」とのことでした。
それならと慌てて席を確保したのですが、JRって、そんなに商売繁盛しているのか?
まあ、めでたいことだけどビックリしました。

そして、当日。新大阪駅で新幹線さくらの5番の入り口に、5分ほど前に行ったのです。
日本人というのは律儀な性格なので、自由席でなくとも、時間前に数人が並んで待っているのが普通なのに、誰もいない。
「本当にこの場所で良いのかしら?」私は不安になりました。

ここで、不吉な予感、第1です。

なにはともあれ、到着した大阪始発の列車に、一人だけ乗り込んだのです。
そして、やれやれと席に座ったとたん、どっと多くの人が乗り込んできたのでした。
それも黄色い帽子とリュックサックの一団が・・・

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「嘘やろう!」
なんと、この車輌は、私一人をのぞき、すべてが小学生だったのでした。
そして、私の隣にも黄色い帽子を被った男の子が一人やって来ました。
話を聞けば、大阪の小学校6年生の、泊まりがけの修学旅行なのだそうです。
私もいささかパニック状態でしたが、可哀相なのは私の隣の席になった男の子です。
『なんでぼくだけ、こんな小母ちゃんと座らなければ行けないのか?』と思ったことでしょう。
私が話しかけても、カチンコチンにフリーズしておりました。
そして、しばらくして先生が、「後ろの席が空いてるから・・・」とその子を移動させました。
まあ、無理もありません。
食事当番の子達、三人が車輌の真ん中で説明します。
「10時15分から45分の間にお弁当を食べて下さい。静かに、人の迷惑にならないよう楽しく食べましょう」
何と早い昼ご飯とビックリしましたが、時間の都合なのでしょうね。
ご飯が終わったら、4人席でトランプをする者あり。歌い出す者あり。
始めは大人しかった子供達も、広島に近づくにつれだんだん興奮してくるのが伝わってきます。
6年生と言えば12歳。全体的に女の子の方が男の子より大きくて、その場を仕切っている感じでした。
小学生よりも小さな私は、子供達の中に埋まってしまっておりました。

そして第二の不吉な予感は、帰り20日の朝でした。
いつも九州に行くのは、法事や家族の病気などで寄り道を知ることがなかったのですが、今回は博多で下車してブラブラすることに決めたのです。
でも、キャリーバックが邪魔なのでコインロッカーに入れていこうと思いました。
博多駅は広く、駅員さんに教えて貰ったコインロッカーの場所は分かりにくい。
おまけに、今のコインロッカーって、暗証番号方式でタッチ画面で操作しなくてはいけないのです。
操作方法が分からない! 「しらんやん、こんなもの」第2のパニックでしした。

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隣にいた若い人が操作方法を教えてくれ、暗証番号の印字された紙片を手にして、失ったら大変と財布にしまい込んだのですが、「そうそう、このロッカーの場所をしっかり覚えておかないと」と思ったのです。
そして、うん分かった、駅の出口から左手に行ったらいいのだと分かった気になっていたのですが、帰りに戻って来たら。
「分からへん!」
東口も西口も風景が似ていて、ウロウロしても判断がつかなくなりました。
冷や汗がどっと出て来て。第3のパニックです。
目の前にサービスセンターの看板があったので、お姉さんに紙片を見せて尋ねたら、ああ行ってこう行ってと丁寧に教えてくれたので、喜んで、コインロッカーに辿り着いたのです。
ところが、私の手元に書いてるロッカーナンバーがそこにはありませんでした。
「うあ~、どうしよう!荷物がないと帰れないわ。」
私の入れたロッカー7004 なのに、そこのロッカーは5000代のナンバーしかないのです。
新幹線の時間は迫るし、私はどうしたらよいのだ!と泣きそうになりました。
通りがかった、この地下街の店員さんらしい人に聴いても分からない。
「そうだ!この写真を見てください。この隣のコインロッカーです。」

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念のために写真を撮しておいて正解でした。
その人は、自分では分からないからと、土産物売り場の別の人に相談し、また、そこの店員さんは、かなり離れた場所まで、一緒に歩いて連れて行ってくれました。

ああ、何とお騒がせな私でありましょうか。
こうして、幾多の危機を乗り越えて、私は帰ってくることが出来たのでした。

不吉な予感がするときは、くれぐれも用心しようと思った次第です。

これは久留米駅の大時計です。
そこらで見かけるようなお爺さん
「からくり義右衛門」
時計が1時とか2時のジャストタイムになると、ニワトリが動き出し
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義右衛門さんが出て来ます。
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ゆっくり廻って
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ようこそ久留米へ
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どこか近所で見かけた気がしませんか?この小父さん。

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相対性論理で考えるバック

最近、私は荷物が重く感じられて困っています。
明日から、二人のお姉さん達に会いに、福岡に二泊で行く予定ですが「荷物をどうしようかな?」
ほんのちょっとした着替えと手荷物だけなのに、郵送するのもなんだしなあ~

と言うわけで、近くの駅前のスパーで、一番小さな旅行鞄を買ってきたのです。
何時も持っているバックと比べてみてもこんなものです。
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なのに、持ってみると、こんなに大きいのかと感じました。
「おかしいな~?」 他の人が持って歩いてるのを見たら、とても小さく感じたのに・・・

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原因はいったい何だろう?
分かりました。鞄が大きいのではなく、私が小さいというのが原因だったのです。
小さいと言うより、足が短すぎるんだな~

しかし、発想を変えればいいのだ!
「そうか、これが相対性原理と言うものだ!」

ああ、こんな事を考えて一日潰すとは・・・・
これでは、アインシュタインもニュートンも真っ青になるのではなかろうか?
まあ、もう死んではるから、かまへんと思うけれど・・

しかも、家に置いてある、以前使っていたキャリーカーと同じサイズだったのです。

最近、毎週授業に背負っていく鞄も、だんだん重く感じられて、老いを感じる一方です。
かくなる上は、アレしかない!
今度は、絶対、ランドセルを買うのだと、心密かに思い定めたのでした。

来年は、ランドセルを背負って、心新たに、新学期を迎えるのだ!

毎週、7年間もフランス語を勉強しているのに、こうまでは出来が悪いのはなぜだろう?
しゃべれない、書けない、読めない・・・
こんなに出来が悪くては、先生に申し訳がない。
ああ、もう死んでしまいたい!
秋から冬にかけて寒くなると、年寄りは鬱状態になりがちなのです。
でも、これも相対性原理で言えば
先生の方が恐縮しているかもしれません。「どうして、教えられないのだろう?」と
ごめんなさいね。
だってほら・・・物忘れが始まり出すという・・・私は、あのお年頃なのですよ。

だkら、ちょっとミニ旅行で気分転換をしてきます。
行き先が、温泉旅行でないのが残念です。
そのかわり、8日の授業でテーマになったフランスの温泉地、コートレの絵はがきを紹介しておきましょう。

鉄道路線が開通した頃の古い絵はがきです。
山裾の谷間の村
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冬のスポーツを「英国ホテル」でどうぞ
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コートレ温泉地
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山並みはピレネー
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蛇は医療の神様だそうで、温泉効果を表しているのですって。
熊野古道の八咫烏みたいなものでしょうかね?
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コートレについては、9月の始めに、先生の土産話を聞いていたのに、すっかり忘れてました。
ピレネーの山の中の小さな都市で、たしか買物したら免税で買える所だと聞いたような機がします。
私は、ちゃんと記録も残していたのですよ。
ピレネーで食べるおやつは、やっぱりカールかな

忘却への道を、歩き出している私です。
いやあ~、いつものことですよと言われそうですが・・・

かやぶきの里

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5日、友達と三人で、京都北部、美山の《かやぶきの里》に行ってきまし。
紅葉には、ちょっと早かったのですが、色づき始めた木々は目に優しく、ホッとする空間でした。

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コースは、JRを使って園部駅まで行き、周遊バスを利用するというもの。2000円のコースです。
私の体調が、あまりよくなかったので、村の中を散策するだけで、11時半から2時50分まで過ごし、帰りは道の駅によって、また園部駅に戻りました。
京都駅に5時前に戻って来れたので、本当に軽い行程だったのです。
が、しかし、これではもう旅行に出るのは無理だなあ~、と自信を無くしてしまいました。
まあ、それは良いとして・・・

《かやぶきの里》
静かな、昔の日本のふるさとを思わせる集落でした。
大昔、丹波国から京の都に山の幸海の幸を運ぶ街道沿いにあった村だったのでしょう。
交通の便から見放され、冬には雪も深く、このままでは日本の多くの山村の村のように放棄されて仕舞いかねない村。
それを、古いからこそ、それを大事にして村おこしをしようと、十年がかりで村民の合意を取り、かやぶきの家を残し、再生して村おこしにつなげることにしたのだそうです。

だから、土産物屋も飲食店も、昔の雰囲気を大切にして、古民家のたたずまいを村中で守っておられました。

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けして大昔ではなくて、私の子供時代には、こんな村が、全国区各地にあったのだろうと思います。

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お昼を食べた、民宿「またべ」さんも、そんな古民家の一軒でした。
アマゴの甘露煮と山菜の煮物が美味しい昼定食でした。

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この店に置いてあった、思い出を書き残すノートをぱらぱらとめくってみると、外国からの訪問者の多さに驚きました。
中国や台湾から来た人が書いたものは、漢字を辿れば、かなり意味が分かりました。
「親切な村人、素晴らしい風景をありがとう。また冬のシーズンに来たいですね。」
と、一人の人は、そんな意味のことを書いておられたと思います。

また、ビックリしたのは、綺麗な日本語の筆跡で書いてあった文章です。
ドイツから来ました。
と言う書き出しから始まっているのですが、私は、この人はドイツに住んでる日本人かと思ったのです。
それほど流ちょうな文章だったのですが、最後に名前がアルファベットで書いてあったのでドイツの人だと分かったのです。
ほとんど完璧な文章でした。
「そうか、日本語は難しいのだ!」と思った部分がこれ。

とても楽しいかったです。

「とても楽しかったです」が正しいのですが・・・
正しいかったでは、なぜいけないのか説明せよ・・・と言われても、私には出来そうにありません。
もしかしたら、日本語って難しいものなんですね。

この日は、土産物店を兼ねた食堂が、かやの屋根を葺き替えている最中でした。
かやを重ねて、横桟を渡した上に、三人の若者が乗って、調子を揃えて蹴り込むのです。
三人と言わず、何人もの若者達が揃って屋根作りをしている様があれば壮観だろうな~と思いました。

こうして、古い村がよみがえれば、若者達の仕事もできるし、かやぶきの屋根を組むという技術も消えずに継承されていきます。
地域の食品を加工して土産物とすれば、田畑もよみがえります。
地元で作った、お米が5キロで販売されていました。
「う~ん、私では、5キロ持って帰るのは無理!」涙をのんで見送りました。

これは、由緒正しき、【知井八幡神社】です。

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そそっかしい私は、しっかりカメラの充電はしていったのに、記録するSDカードを入れていなくて、写真をこれだけしか残せませんでした。

また、いつか、雪の降る頃に来て見たいものです。










微笑む猫より、微笑むサラ金の方が恐い

10月18日の授業の時に、先生が「猫を描きなさい」と言いました。
私は思ったのです。
「猫ねえ~・・・わぁ~、上手く書けそうにない。顔だけでいいかしら?」
でも、これじゃキティちゃんだよねと思っていたのです。
ところが、周りの席からは
「キツネみたい」 「スヌーピーみたいになっちゃった」
うっ・・・なんか違う雰囲気ではないか?

先生が言ったのは犬(un chien)で、私が書いたのは猫 (un chat)だったのです。
犬の発音はシアン、猫はシャです。
こんな事を間違えるなんて!
慌てて犬に書き直しましたが・・・・

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Il s'appelle Pochi. (ポチです。)

Dessinez un chien sous lequel vous écrivez.
犬を描いて、そのの下に名前を書きなさい
と言うことだったのです。
次に、猫を書いてスリールと聞こえたので
「sourire スリール?微笑む・・・笑ってる猫を書いたらいいんや!」
と私は思って、セッセとニッコリした口元の猫の顔を描きました。
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Il fait un sourire.
それを見て、先生は Non!と言いました。

Dessinez un chat dans lequel il y a un souris.
中にネズミがいる猫を描きなさい
が先生の出した問題で、書き直したのが、これです。

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私は思いました。
「私は、絵描きとしての人生を選ばなくて本当に良かった。」と

しかし、外国語を学ぶ才能も、全くないのだと言うことも、改めて、いえ、改めずに思いました。

しかも、その日

これは何か分かりますか?と言われて

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私は日本語で言ってしまったのです。
「プロミス。サラ金やんか!」と・・・・
勿論、先生は尋ねました。

Qu'est ce que c'est SARAKIN?
サラ金とは何ですか?

消費者金融をフランス語でなんといえばいいのだろう?
C'est un banque bizarre.
(変な銀行です)
と言った私の代わりに、他に人が、金利が高い銀行だと、ちゃんと説明してくれてました。

でも、サラ金、高利貸し、質屋の違いは何だろうか?と後で、私は考え込んでしまいました。
サラ金は、高利貸しが株式会社化したものでしょうか?
質屋は、貸し金に見合うものを先に担保として取る。だから、借りた金を払えなければ、預けたものは帰ってこないけれど、返せと追いかけられることはない。

何にも無しで借りるのは恐いよな~。
ニッコリお金を貸してくれる会社ほど恐い物はないのではないでしょうか?
それなら、まだ笑う猫の方が、マシだよね。

宿題は、さっぱり進んでないのですが、そんな下らないことを思ってます。
これでは、今週も、どうなることやら・・・