À quoi ça sert l'art ? 芸術は何になるのか?

《 L'art , C'est une explosion ! 》 Taro Okamoto avait dit .
「芸術は爆発だ!」 岡本太郎は言っていた。


150321art de Taro

授業は、21日から新しいユニットに入りました。
テーマがこれです。
Envie de culture?
まず、これを何と訳したら良いのでしょうか?
文化を求めて・・・と言うような意味かな?

Culture 、女性名詞のこの言葉は文化という意味だけでなく
教養、培養、育成、鍛錬、耕作、栽培 etcの意味があるようです。
まあ、文化って、大事に栽培し、鍛えて育て上げなくては出来上がらないから、根っこのところで意味が繋がっているのだろうなと、私は思ったのでした。
さっそく、先生からフランス人好みの質問が飛んできました。
Est-ce que l'art sert à quelque chose ? Si oui , à quoi ?
芸術は何かの役に立ちますか?もし、そうなら、どのように?
日常によく使われる表現は À quoi ça sert ? (それは何の役に立つの?)

À quoi ça sert l'art ?  (芸術、それが何の役に立つのだ?)

実は、これ宿題だったのですが
Je ne sais pas , Ça ne sert à rien !
そんなん、知らんやん!何の訳にも立たないわ
と言いたいところですが、それでは勉強になりません。

解答で出されたのは
① Ça sert à se changer les idées. (気分転換の効果がある・・・自分の意識が変わる)
② Ça sert à faire changer des idèes.(他の人達の意識を変える効果がある)
    faire が入ると他者に働きかける意味に変わるのですね。だから②は③と同じ意味を持つ 
③ Ça sert à faire changer la société. (社会を変える役に立つ)
④ Ça sert à exprimer ses émotions. ( 感動を表現する)
こんな解答もありました。
Ça ne sert à rien et c'est la valeur de l'art.(何の役にも立たない、芸術とはそれだけで価値がある)
と言うような意味かしら?格好良いですよね。

À quoi ça sert ? で質問されたら、 Ça sert à~ で答えましょう。

相変わらず、私は一人だけで別の世界を彷徨っております。

先生から、お土産に頂いた絵はがきです。
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ナンシー美術館に行って来たそうです。
C'est l'art. 
それは芸術です
それを聞いて私は 「うん珍しいよね!」と思っていたのでした。
C'est rare. だと思ったのでした。
それは珍しい
つまり、発音が全く聞き取れていないと言う事です。珍しいのは私かもしれません。

cahier p49の宿題を皆でやりました。
チャットで会話をしてる文章です。Pauline の分です。
よく意味が掴めなかったのですが、再チャレンジしてみます。
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Question pointue...
鋭い質問ね
Moi, je dirais que l'art sert à s'exprimer . C'est un peu comme un langage . Je suis musicienne et parfois, sur scéne, je ressens des choses incroyable, Je me sens tellement sereine.
私はね、芸術って自己表現だと思うの。それって、ちょっと言葉みたいなものよ。私はミュージシャンなので、時折舞台の上で信じられないようなことをすごく感じることがあるの。とても心が静かな感じになるの。
Je regrette que tu n'aies pas une âme d'artiste, tu comprendrais certainement.
あなたが芸術家の魂を持って無いのが残念だわ。(それがあったら)あなたにも、しっかり分かるのにね。
L'art permet aussi à une société d'échanger et donc, de se construire. Je l'ai par exemple observé en animant des ateliers musicaux avec des enfants en bas âge.
芸術は分かち合う社会、自ら創造する社会を認めるのよ。例えば、私は、幼い子供達の音楽教室の発表会でワクワクしながら、それに気が付くことがあるの。
J'étais étonnée de voir à quel point la musique leur permettait de s'écouter les uns les autres et d'apprendre à se respecter, à vivre ensemble.
一緒に生きる為に、お互いに耳を傾けあい、他者を尊重することを、子供達に教えるこんな音楽があるのを知って、すごく驚いたの。
Et ce que je dis ne s'applique bien sûr pas qu'à la musique mais recouvre les autres formes d'art.
それって、もちろん音楽だけに当てはまるんじゃなくって、他の芸術にも当てはまると私は思うの。
La musique est peut-être le moyen artistique qui touche le plus de gens et qui fait appel aux émotions de chacun ( même si on peut pleurer devant la Vénus de Botticelli...)
音楽って、多分人の心により深く触れてくる芸術的媒体よね、そして、音楽は全ての人の感情に呼びかけるんだわ(たとえ私達がボッティチェリのヴィーナスの前で泣くことが出来るとしても・・・)

ボッティチェリのヴィーナスとは 海の上でデッカイ真珠貝に立ってる姿、《ヴィーナスの誕生》の絵ですよね。
この文章のニュアンスがよく分かりません。
あの絵を見て何で泣くのだろう?よだれを垂らす男性がいるかもしれないけれど・・・・

Botticelli

語彙
pointue 先の尖った 、 ressens ( ressentir )感情、感覚を強く感じる、 tellement  とても serein(e )= en paix, calme 落ち着いた、平静な、冷静な、permetter 許す、認める、animer 生き生きさせる、活気づける、 les uns les autres  お互いに、des enfants en bas âge 幼児、3歳から5歳ぐらい 
quel point la musique =comme la musique
ここの部分は難しいなあ~、言い換えれば
J'étais étonnée de voir que la musique leur permettait beaucoup de s'écouter, leur permettaittrès bien de s'écouter
(私は知ってビックリした、何をかというと、音楽(la musque)は子供達( leur) に演奏を沢山しっかり耳を傾ける事を許す)
小さい子供達でも、人の音楽をしっかり聴く、音楽にはそんな力がある・・・という様なことかと思うのですが・・・
s'appliquer 当てはまる、 recouvrer  回復する、取り戻す=comprendre
même si の意味が分からんと思ってネット検索したら、一番にヒットしたのが
http://ouestlac.blog104.fc2.com/blog-entry-406.html
自分で書いておいて、全く忘れておりました。
ああ、たとえ自分のブログに書いていたとしても、記憶していなければ意味がない。
これこそ、知ってビックリしたわー(J'étais étonnée de voir )です。
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間違いだらけかも知れませんが・・・
まあとりあえず、ここで休憩です。
近所の桜も、もうすぐ開きそうです。

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ワサブロー琳派400年記念を祝して歌う

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3月15日、友達9人で、京都府民ホールアルティに行ってきました。
この日は、ワサブローの「京都、パリ、そして京都~ワサブロー琳派400年記念を祝して歌う」があったのです。

いやまあ、なんと言ったら良いのか・・・・
私の感想を、言葉にすれば 「メチャクチャ面白かった!」しかありません。
ボキャブラリーが貧弱な私には、こんな事しか言えないのであります。
面白かったという日本語には沢山の意味があります。
興味深い、おかしみがある、一風変わっているetc.
今回の、私の面白かったは何だったのでしょうね?
それは私にとって、エキサイティング、刺激的である、と言う意味が、一番大きかったように思います。
視覚に、聴覚に、身体全体で感じる雰囲気に、今まで知ってたイメージとまったく違うものがビンビン伝わってきました。

まず客席に入ったとき、最前列に、パリのカフェテラスのような椅子に囲まれた5,6客のテーブル席が設えてありました。
テーブルも椅子も綺麗な赤でした。
「う~ん、ここは特別席なんやなあ~、うちらの座れる場所と違うわね」
と横目で見ていたのですが、後から、ここに座った面々を見渡せば、
モヒカン頭でヒョウ柄のドテラをまとった兄ちゃん、しっとりとした和服を着た別嬪さん、お坊さんもいれば、モード雑誌から抜け出てきたよな真っ黒なシャツに真っ赤な革のブーツの美女、そして、あの、一癖も二癖もある顔をしたキーヤンの姿が・・・
キーヤン(木村英輝氏)の後での話によれば、この席に招かれた人は、出来る限りのお洒落か、それでなければ派手な格好をしてくるようにと指定されたそうなのです。客席も、舞台の演出の一部となっていたのです。
キーヤンのブログで、この日の舞台の模様が写真紹介されていますの見てください。

Ki-Yan BLOG 2015.03.16  ワサブロー コンサート

照明を落とした真っ暗な舞台の両端に丸いガス灯の柱が二つ立っています。
その下は2,3段の段になっていて、まるでセーヌ川沿いの歩道を歩いて川縁に下りようかなといったたたずまいです。
そこで、一息ついて座り込んでいるかのような姿の、ワサブローが歌い始めました。
Dupont et Dupont (デュポン・エ・デュポン グループ名、ギターの演奏は溝渕仁啓)の始まりです。

一部は、泣いている子供達で始まり、ミラボー橋、行かないで、金色の麦の穂の歌と続きます。
ああ、溝渕さんのギターとワサブローの歌の絡みがまた進化してる!
三月の歌は、まるでモダンジャズのようなギターに加えて、溝渕さんのハモリが絡むのです。
超テクニックを要する伴奏に、裏パートのハモリを一緒にさせるとは・・・
「何と伴奏者をこき使う男であろうか?ワサブローは!」と私は思ったのでした。
この後、中島徹のピアノが入って来て、朝と夜
「朝と夜」って、こんな曲だったのか!
何だろうこの感じは?一段とすごみを帯びたと言うしかないできあがりでした。
風の囁き、時の流れに(Avec le temps)で一部の終了でした。

休憩時間に「今回はプログラムがないわ!」とぼやいていた私です。
前の列に座っている友達が、一斉に新聞を開いて読んでいるので
「どうしたの ?」と聞くと
なんと、タブロイド判8ページの新聞が、すべて案内で、最終ページがプログラムとなっていたのでした。

表紙
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気が付かなかったら、そそっかしい私は、京都リビングかと思って、捨てちゃったかも知れません。

そしてプログラム。
いつものように順番が変更になってます。

最終ページ
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赤い線は、私が入れた物です。

そして、2部
舞台に出て来たのが、なんとマイケル・ジャクソンのダンス、そして鼓の演奏でした。
和と洋、古典とダンス、これが、また、すごくあってるんです。
日本古来の鼓の音色と、モダンなダンスの調和ってすごい。
400年前の、芸術家達が創り出そうとしていた物は、きっとこんな感じだったのではないかと思わせます。

このお兄さん、名前は,Masakiさんと言います。踊っている時は、ホンマにマイケル・ジャクソンでした。
帰りに写真を撮らせて貰った画像です。

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ダンスが終わり、ワサブローの2部の始まりは「ヌガ」でした。
彼は、この歌で客席中を踊りまくりたかった事だろうなあ~と思います。
しかしまあ、なんと言うことでしょう。
彼は、この1週間前にジムでバーベルを持ち上げていて腰を痛め、本日は立って歌うことが出来ない状態だったのです。
本来なら、ドクターストップですよね。
体脂肪3.8の彼であったから、舞台に立つことが出来たのです。でも、体脂肪3.8って信じられない数字です。
歌うことは格闘技ですと、昔聞いた覚えがあるけど、そこまでやるのかこいつは!と思ったのでした。
「ぼくが椅子に座って歌うなんてことは二度とあらしません」
そうあって欲しいものです。
しかし、まるでそれを逆手にとったかのような演出の変更が、また美事だと感じました。

2部のテーマは何かというと
「琳派を今に」と言うなら、こんな事や!
と言う事ではなかろうかと私は感じたのでした。

2部では、キーヤン(木村英輝 )の屏風絵を2回取り替え背景に使い、琳派を今に蘇らせる。
Masakiのダンスと籐舎成光の鼓の組み合わせの妙!古典って実は前衛なんだって思いました。
ビックリ仰天したのが、400年前の歌が出て来たことです。
西洋には、楽譜というものがありましたけど、日本にはありませんでいた。
ですから、日本では、歌詞を文献でたどることは出来ても、メロディーばかりは探し出すことが出来ません。
それを、復活させたのですよ。(正しくは創作です。)

《当時の貿易省で学者、書家でもあった角倉素庵はこの隆達小歌を俵屋宗達の金銀泥摺下絵に認め、同じく公儀呉服師として大富豪となった茶屋四郎次郎に贈っていて今もその断簡を個人が所有している》
(WASABLOIDより引用)

この屏風に書かれていた宗達節の中から選んだ数編に、溝渕仁啓が曲をつけたのです。

夢はへだてず、海山を、
こえてもみゆる、よなよなに

梅は匂いよ、木立はいらぬ、
人はこころよ、姿はいらぬ

此春は、
花にまさりし、君持(ち)て、
青柳の糸、みだれ候(そろ)
(WASABLOIDより引用)

私が思うに、イメージとしては、こんなでしょうか?
花見図・雲谷等顔

そして、キーヤンが書いた「りんりん琳派は綺羅きらら」という詩も曲がつきました。

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このキーヤンという人は、とても面白い人です。
永遠のガキンコとでも言ったらいいのでしょうか?
琳派なんて、ワシはあんなもん嫌いや!カキツバタばっかり書いてあって。自分が琳派と言われると腹がたつ。過去の物、済んだ物はワシにはいらん。前にある物だけが自分にとって意味がある。
本人が読んだら、ワシはそんなことしゃべっとらんぞ!と怒られるかもしれませんが・・・
話を聞くだけで、元気をもらえます。

続いて
桜の木の下で、私が一番きれいだった時、水に流して
アンコールに 愛の賛歌。
気が付けば、あっという間に3時間が過ぎていました。
いやあ~、素晴らしかった!

ワサブローさんにとっては、思わぬ身体の不調で、無念きわまりなかっのではと思います。
もっともっと、ビックリさせる舞台をと精進されていたであろうことが、バシッと伝わってきました。

一緒に来ていた友達が皆感激して、私に手を差し伸べて「素晴らしい物を有り難う」と握手を交わしたのです。
が、私が御礼を言われるのは筋違いですよね。

これを読んで、行けなくて残念だと思った人は、4月12日 長浜今重屋敷能舞館 でワサブローライブがあります。



Emmenez-moi  世界の果てに

長い春休みが終わって、明日から授業再開というのに、まったく勉強をしていませんでした。
去年の12月ぐらいから授業の復習をしなくなっていました。
春休みで、その分をしなくてはと思いつつ、何も手をつけられず・・・
そのツケがたまって、やる気喪失に陥ってしまったのです。
こうして、人は、学習から落ちこぼれていくのです。
まあ、これまで続いていたのが奇跡的なのだから、良しとしなくては・・・

元気を出したい!と思って、この歌を選びました。
世界の果てまで連れて行ってくれ!と言う意味の歌です。

夢のある歌なのかな~と、始めは思ったのですが、内容は決して明るくない。
ハードな仕事で日々を過ごす、港の労働者の切ない思いを歌った歌です。
現実から逃げられないからこそ夢を見る。
その夢は、かなえられることはないのかも知れない。
でも、やっぱり、人はこの現実から抜け出したいのだ。

言葉数が多くて、歌詞に頭がついていかない、メロディーが取れない、楽譜を見たって、いや見たら余計分からなくなる。
意味の掴めない部分が、何カ所かあって、立ち往生していました。
特に2番の この部分
je vois tendant les bras l'amour qui comme un fou court au-devant de moi et je me pends au cou de mon rêve

私の前に走ってくる狂気のような恋に tendant les bras 腕を差し伸べる(tendreの現在分詞)のを自分が見るですよね?
そして (se pendre au cou de ~ ~に激しく抱きつく)だから
 je me pends au cou de mon rêve(自分の夢に溺れこんでいく)という事かなあ~

こういうのは、誰だって説明するのに苦労します。
仏語教室のアントワーヌ先生にしつこく質問し食い下がったら、絵にして説明てくれました。
こんな感じだそうです。分かるかな?
自分の夢の中に、恋が走り込んでくるのですね。

emmenez-moi

そして3番の
Un beau jour sur un rafiot craquant de la coque au pont  Pour partir je travaillerai dans la soute à charbon
いつか、船体も甲板も壊れたぼろ船で 、旅立つために、私は船の石炭置き場で働くだろう
解釈の間違いをしてるのかも知れませんが、travaillerai (未来形)なんだから、石炭置き場なんかでなくって、もうちょっと労働条件の良さそうな働き場所にしなくて良いのか?と思ったのです。それに、余計なお世話かも知れませんが、船体からデッキまでボロボロの船だったら難破するのは間違いないよねと心配になるのでありました。

がしかし、それでも、旅立ちたいのです。

それは、世界に果てがあると思えた時代のことだったからでしょう。
今では、世界の果てを、地球の何所に探したらよいのだ!
今は、世界に果てがなくなった時代と言えるのかもしれませんね。
Iパッドのスイッチを入れれば、世界の出来事が目の前にあるかのように入ってくる。
そして、世界の果てを目指せば、地球をぐるっと回って、自分のいるここに帰ってくるのですから・・・

せめて、夢だけは、果てなく彷徨いたいと思います。

歌詞を見ながらアズナブールで


NosyBay 三人のグループです 。私はこれが気に入りました。


Vitaa 女性版で



 Emmenez-moi  


Vers les docks où le poids et l'ennui me courbent le dos
Ils arrivent le ventre alourdi de fruits, les bateaux
Ils viennent du bout du monde apportant avec eux
des idées vagabondes aux reflets de ciel bleu de mirage
Traînant un parfum poivrées de pays inconnus
et d'éternels étés où l'on vit presque nu,sur les plages
Moi qui n'ai connu toute ma vie que le ciel du nord
J'aimerais débarbouiller ce gris en virant de bord

重さと退屈が俺の背中を押しつぶす岸壁に、
果物を船腹に詰め込んだ船団がやってくる
世界の果てからやって来る、荷と一緒に青空の照り返しと蜃気楼に満ちた放浪者の思いを携え
見知らぬ国の胡椒の香りを引き連れて
そこは人々は浜辺でほとんど裸で暮らす常夏の国
人生において北の空しか知らなかった私
私は船首を巡らしてこの灰色から抜け出したいんだが・・


《 Refrain 》
Emmenez-moi au bout de la terre
Emmenez-moi au pays des merveilles
II me semble que la misère serait moins pénible au soleil.

繰り返し

  世界の果てまで私を連れて行って
   素晴らしい国へ連れて行って
  太陽の下なら貧乏も辛くなくなるような気がする



Dans les bars à la tombée du jour avec les marins
Quand on parle de filles et d'amour un verre à la main
Je perds la notion des choses et soudain ma pensée m'enlève et me dépose un merveilleux été sur la grève
Où je vois tendant les bras l'amour qui comme un fou court au-devant de moi et je me pends au cou de mon rêve
Quand les bars ferment, que les marins rejoignent leurs bords
Moi je rêve encor' jusqu'au matin debout sur le port

船乗り達と日暮れの酒場で
コップを片手に女や恋を話すとき
私は何が何だか分からなくなり、突然、意識が飛んで、砂浜の素敵な夏に降立ってしまう
そこで目の前に狂ったように飛び込んでくる恋を腕に抱き留め、自分の夢に溺れこんでいく
酒場が閉まる時、船乗りたちは自分たちの船へと戻る
私は朝まで港に立ち、夢をまだ見続ける


《 Refrain 》

Un beau jour sur un rafiot craquant de la coque au pont
Pour partir je travaillerai dans la soute à charbon
Prenant la route qui mène à mes rêves d'enfants
Sur des îles lointaines où rien n’est important que de vivre
Où des filles alanguies vous ravissent le coeur
En tressant m'a-t-on dit de ces colliers de fleurs
Qui enivrent
Je fuirai laissant là mon passé sans aucun remords
Sans bagage et le coeur libéré En chantant très fort

いつか、船体から甲板まで壊れたぼろ船で
旅立つために、私は船の石炭置き場で働くだろう
子供の頃の夢へ向うルートをたどる
遠くの島々にある。そこでは生きることだけしか大切じゃないのさ
そこでは、ものうげな娘たちが、うっとりするような花の首飾りを編みながら、おまえ達の心を虜にするそうだよ
私ははどんな後悔もなく自分の過去を置き去りにして逃げよう、鞄も無しの自由な心で
大声で歌いながら~~


《 Refrain 》
La la la la ~~~~~~~~
 ララララー

《 語彙 》

Courber 曲げる たわめる、Alourdi 重い
Senteur 香り、poivré(e)胡椒の、
Débarbouiller 窮地を脱する、
virer debord 船首を回す、半回転する、意見を変える
pénible つらい、苦しい misère 貧困、貧しさ
la tombée du jour 日暮れ, notion (f)観念、概念
s'enlever 消え去る、脱げる、上昇する 
déposer 置く、捨てる、下ろす
sur la grève 砂浜の 砂州の、tendre les bras 腕をさしのべる
se pendre au cou de ~ 首っ玉にぶら下がる、激しく抱きつく

rejoignent(rejoindre復帰するの三人称複数)
rafiot (m)ぼろ船、coque(f) 船体
pont(m) 甲板、デッキ
 la soute à charbon 船の石炭置き場
mène (mener連れて行く、至らせるの三人称単数)
alangui(e)物憂げな
ravissent(ravirの三人称複数, うっとりさせる、心を奪う)
tressant(tresserの現在分詞)三つ編みにする、編む

collier(m) 首飾り enivrer 酔わせる、夢中にする

fuirai(fuir 単純未来 逃げる、逃走する)
remords (m) 悔恨、後悔、良心の呵責

春がそこまで

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3月になりました。
これは、以前、道の駅で見かけた男雛女雛の人形です。
思い返せば、私の人生の中で、ひな祭りをしたという記憶はありません。
子供を食べさせるのに精一杯だった時代に、私の両親はひな壇を飾る余裕などなかったのです。
まあ、おひな様のような可愛い私だけで充分であったか・・・・
などとうそぶける元気が出て来ました。

人間は、自然の中で生かされている動物、それもほ乳類の一種類に過ぎない。
TVを見るにつけ、人間は憎しみや怨みに絡め取られず、動物として単純に生きられないものかしら?
と思われてなりません。
現実から目を背けてはいけないのでしょうが、見つめていると、息苦しさに、この世から逃げ出したくなってしまいます。

自然のサイクルがめぐり、暖かい季節がやって来ると、自分の中でくすぶっていた命もよみがえってくる。
元気を出すぞ!まず、体にくすぶっている病気の気を追い払おう!
元気になれば、人間前向きに考えることが出来るのだから・・・


下の画像は、先日購入したオリンパス スタイル1によるものです。
「基本機能を使って撮影する」ところから、まったく前進できてません。

いつも、我家の窓から遠くに眺めている琵琶湖バレーですが。
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カメラでズームアップすると・・・建物まで見えます。

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パソコンに取り込んで画像加工し、もっと拡大すると、山頂に生えている樹木まで見えるのです。

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雨の日の山並み

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それにしても、このカメラ、私にはやっぱり重たいようです。