戦争法案阻止いっせい行動:大津

30日は、私の住んでいる地域の清掃の日でした。
この日は、京都の反戦集会に行こうと思ってましたが、それは午後からで時間に余裕がありました。
だから、私は自治会に入っていないけど、地域の清掃は、出来る限り参加しなくてはと、申込期限ギリギリまで迷って、参加申込をしていたのです。
7時45分に、マンションのロビーに行くと、自治会各員の8名以外で参加する住人は私だけでした。
「そんなものかい!」と思いつつ、いくつかの学区の住民達と合流し、真野川沿いの道を歩いてゴミ拾い。
小雨の降る中、仕事は完了。10時前に家に戻ってきました。
雨と汗でびっしょりの身体にシャワーを浴びて、人心地ついたとき、窓の外から情宣活動をしているマイクの声が聞こえてきました。
もう選挙前の運動でもしてるのかなと思ったのですが、かなりの時間、続いていて、憲法9条を・・・などという声が聞こえてくるので、とにかく確認しに行こうと、手ぶらで、スーパーイズミヤ前の交差点まで向いました。
そこでは、70人ほどの人達が、手作りの旗や、ポスターを掲げてリレートークをしていたのでした。
もう最後の、皆でコールをあげましょう!というところでした。
「戦争法案絶対反対!」 「憲法を守れ!」とシュプレヒコールがわき上がっていたので、私も信号待ちをしながら、大声で、そのコールに声を合わせました。

イズミヤ前交差点で
150830-01

150830-02

この地に引っ越してきて、ほぼ20年になりますが、地域の住民が集まって、政治的な声を上げるのを見たのは初めてだったのです。ものすごく嬉しくなって、主催者らしき女性に話を聞くと、全国いっせい100万人行動として、アチコチでミニ集会が予定されているとのことでした。
10時から11時が、私の住んでいる地域のイズミヤ前で、そこから11時から17時まで、大津市内の10カ所で、それぞれの場所に住んでいる人達が参加する抗議行動を行い、17時半から、滋賀の若者達のグループ・しーこぷの主催する集会に合流するとのことでした。
戦争法案を何としてでも止めなくては!という思いから、多くの人が、自分の生活の場で声を上げだしたのです。

150830-03

150830-04

150830-05

私は、今は、心ある人達、団体が、一体となって反戦の意思を示し動く時だと思っています。よくぞ、やってくれた!
京都に行く予定を変え、15時半からのJR大津京駅の集会に駆けつけました。
お坊さんから、近所に住んでる人まで、今の状況に対する思いを訴えました。
私も、飛び入りで、アピールさせて頂きました。
「国会前に集うことも大切ですが、自分の住んでいる場所で、各自が意思表明をしていくことが、今本当に必要だと思います」と・・・
田舎で、政治的行動をするというのは、東京、京都、大阪の大都会でデモをするより、もっともっと勇気がいる事だけれど、今なら言えいる!やるのは今でしょう!と思うのです。

大津京駅前で
150830-06

150830-07

浜大津交差点で
150830-08

150830-09

150830-10

17時30分から、石山駅前で、若者グループしーこぷが主催する集会に300人集まりました。
しーこぷって何だろう?私は始め、生協(COOP)の事かしらと思ったのですが、ネットで探したら
《『しーこぷ』とは、「Shiga(滋賀)/Constitution(憲法)/Peace(平和)」の略です。滋賀から「憲法を守る!平和をつくる!」、そのために行動する有志が立ち上げました。》とあちました。

ホンマに若い、学生や、保育士、看護師、学校の先生etc、今まで政治に全く関心がなかったという若者達が、今、これではやばいよな~、と本気で考え、自分で勉強し、行動し始めています。

時代は変わった、時代は動いていると、彼らを見て、しみじみ思いました。
スピーチをする若者達の半分は、片手にスマホを持ちながら話します。
それは、原稿用紙であり、メモであり、また、情報を居ながらにして見る道具でもあるのです。
司会者は「今、国会前に集まってる人は12万人を超えました」と報告し、集会のプログラムもスマホをみながら・・・
はあ、こんな風に使うんやあ~!・・・と、時代から取り残されかけている小母ちゃんである私は、ビックリしてしまいました。

雰囲気が若々しく変わります。

石山駅前で
150830-11

150830-12

そして、皆、とても礼儀正しく、分かりやすい話し方で、「なぜ私が戦争法案に反対するのか」を自分の言葉で話してくれました。
初めてなので、とても緊張してますと言う人には、「良いんだよ~」と声援が飛びます。

「私は、今日ここに、これから大切な家族となる人と来ました。大事な家族や友達を守りたい。~~~武器を持たずに国際貢献をするのが、日本のとるべき道だと思います」

「自分は、今日、この2歳なる我が子と共に来ました。仕事は教員です。子供達に、命を捧げる覚悟をしろよなんてとても言えません。この抱っこしている子供の愛する人が、戦地で死ぬ、戦地で殺されることのないよう、戦争法案を阻止したい」

「今まで、政治に、全く関心がありませんでした。でも今状況が気になって、勉強して思いました。もし学ばず、戦争法案を通してしまったら、後できっと後悔すると思ったんです」

「私は安全保障法案に反対です。法案に賛成している人も、戦争は嫌なんだと思います。安倍総理は、武力を行使することを、積極的平和主義と言うけれど、武力を行使してしまったら、返ってくるのは《憎しみ》だと思います。通りがかりの人から、反対というなら対案を出せと言われ、その場で答えられなかったけれど、武力を用いない方法があると思います」

司会者が、先日の北朝鮮と韓国は、戦争になりそうだと思わせたけれど、話し合いで治ったというフォローを入れます。

私が思うに、戦争をしないように持っていく事こそ、政治家の使命であり、それが外交というもんや!
自分たちの無能をさらけ出して、後方支援と喚くんじゃない・・・胃に穴が空くほどの、外交努力をしろよ!

社民党、共産党、民主党の議員さん達の発言もありました。政治を仕事にしている人は、流ちょうに話しをされますが、若者達の言葉の方が、聞く人の心を打つのです。

ちゃんとしゃべれないと思いますがと話しながら彼は訴えます。

150830-14

「戦争を止めたいと思う人が一人でもいるなら、僕は泣きそうになってもしゃべります。今日、ぼくは、一番大切な人とここに来ました。大切な人、大事な家族を守っていきたい。」
会場から、暖かい拍手がわき起こります。
最後に、皆でコールをしましょうと司会者が言うと、隣でノートパソコンを使って、ながす音楽を選んでくれるのです。
軽快なリズムにのって、「エンドレスでやりますよ~!」 「よっしゃ~」
「戦争法案絶対反対」
「憲法守らん議員はいらん」
「憲法違反の法律作んな」
「戦争したがる総理は辞めろ」
「国民なめんな」
「武藤は辞めろ」
武藤って誰だっけ?
150830-15
戦争に行きたくないというのは利己主義だとネットに書いた国会議員です。
国会議員枠の株を購入してやると、金を巻き上げる方が、よっぽど利己主義だと思うのですが・・・

300人以上集まった会場で、発言者の声を後まで伝えようと、重たいスピーカーを最後まで抱えてくれたお兄ちゃん。
「ありがとう」と最後に声をかけたら 「ぼくは、これしかないから」・・・
この体格だと、徴兵制になったら一番に狙われそうだよ。
しっかり反対していこうね!と思いつつ、家路に向いました。

150830-13

朝からの雨も、何とか降らずに持ちこたえてくれました。
雨でも、皆さん集まったことでしょう。
まさに、雨にも負けず、アベニモマケズ です。

アベニモマケズ








スポンサーサイト

映画:「戦場ぬ止み」 見に行ってください

28日、京都シネマに映画を見に行ってきました。

150828-cine02

発音が難しいですが、タイトル 『戦場ぬ止み』は「いくさばぬどぅどぅみ」と読むそうです。

2014年から翌2015年かけての、沖縄辺野古の基地建設反対闘争の現場を扱ったドキュメンタリーですが、ものすごく感動しました。
反対行動の真っ先に立つ、85歳のオバア。
座り込みを続ける仲間に、お菓子を作り、ゆで卵を用意する、その笑顔は本当に美しい。

150828-cine01

建設資材を運び込もうとするトラックに「私をひいてから行け!」と身体を張って立ちふさがります。
このおばあが県警機動隊の暴力によって重傷を負わされる事件がありました。
抗議行動のリーダーが、居並ぶ警官達を糾弾する場面があります。
本来は警官隊が抗議団体を阻止するために立っているのですがその姿は、警官が、先生に叱られる生徒のように見えるのです。
リーダーのヒロジさんが「おばあに手をかけたのはおまえか!」と、一人一人に詰め寄ると、警官達がたじたじと引き下がり、バスで引揚げていくのです。
そして、警察官達の前に立っているのが、アルソックと書かれヘルメットの警備会社の社員というのは、何ともおかしなものでした。
この映画については、監督のインタビューを始め、多くのブログに紹介されていますので、私がぐだぐだ説明するより、そちらを読んでください。

監督:三上智恵さんインタビュー(通販生活の記事より)

映画「戦場ぬ止み」 (通称にいさんのブログより)

横浜ジャック&ベティ『戦場ぬ止み』 (たぴおかたぴおの「映画は見たけれど」より

葉月は“戦場ぬ止み”月 『戦場ぬ止み』鑑賞記 (CINEMA COLORS より)

そして、時間がある人は、ぜひとも映画館に足を運んでほしいものです。
非暴力で、権力と立ち向かう戦い方とは、こういう事なのかと感じさせられます。

最後の方で、抗議行動に参加していた女性が
「権力とは、しつこいストーカーみたい。こっちがいらんと言ってるのに、いつまでも付きまとってあきらめない」と言うような事を言います。だからこそ、こっちは、それを上回る、しつこさで抵抗していくしかないと・・・

息子が生まれたときに、基地建設が決まり、反対闘争を続けて17年、下に双子の女の子が生まれ、もう小学校高学年。家族ぐるみで、10年間。米軍基地のフェンスの前で、ペットボトルに入れたロウソクかざし、道行く人達に反戦を訴え続けています。下の女の子の笑顔がものすごく可愛い。

私は、映画の後に、販売されていたTシャツを購入し、8月30日全国いっせい100万人行動に出かけていきました。

こんなデザインのシャツです。
150830-m00

若者達が主催する、反戦集会は、感動と笑いが溢れていました。
その話は、また次回に・・・

近くにいたお兄ちゃんに頼んで写真を撮って貰いました。
このシャツを見せたかったからです。
映像を見て、私って、本当に足が短いんだなあ~と感心しました。
そこで、足首まで写さず、下をカットすると、もっと足が先にあるんだなあと目の錯覚を起こさせる効果を利用しました。
即、足首なんですけどね。

150830-m01





現在分詞 le participe présent その1

ジェロンディフの使い方は以前学んでおりました。
en +現在分詞
Il est tombé malade en travaillant trop.
働きすぎて、彼は病気になった。

ジェロンディフには、色々な使い方があります(同時性、様態、手段・方法、条件・仮定、原因・理由、譲歩・対立)
上記の文章は、原因を説明する場合につかう、ジェロンディフの用法です。

同時性も、よく使われるジェロンディフです。
Marie se promène en chantant avec sa mère tous les jours .
マリーは毎日歌いながらお母さんと散歩する。

150825-01
小さなマリーなら毎日歩きながら歌っても、かわいいでしょうね。

とりあえず、ジェロンディフの記憶を呼び覚ましておきましょう。

このジェロンディフとよく似た使い方をするものに現在分詞があります。
 
現在分詞は nousの、語幹と 語尾が ant で構成されています。

travailler(働く)  nous travaillons  →  travaillant

例外として、下記の動詞は覚えておきましょう。
être →    étant
avoir →  ayant
savoir →  sachant


現在分詞は、文法的に二つの使い方があるそうですが、
まずはその1
原因・理由を説明するために用いる

Travaillant trop , il est tombé malade.
働きすぎて、彼は病気になった
 文章を置き換えたら parce que で説明できます。
Il est tombé malade , parce qu'il a travaille trop.
彼は病気になった、なぜなら働きすぎたから

これだったら、ページの始めのジェロンディフと同じではないかと思うのですが、違いは何なのだ?
現在分詞は、会話では、まず使われないそうです。言うなればジェロンディフは話し言葉、現在分詞は書き言葉なのです。
そして、現在分詞を用いた節が、かならず文頭に来るという約束があるそうです。
× Il est tombé malade, travaillant trop .(後に持ってきてはいけない)

先生が例文をホワイトボードに書いて下さいました。
150825-02

まずジェロンディフで
En ne travaillant pas assez, Félix a raté ses examens.
しっかり勉強してなかったので、フェリックスは試験にすべった。
現在分詞の構文だと
Ne travaillant pas assez , Félix a raté ses examens.
それは接続詞 parce queを使って言い換えることが出来る。
  
Félix a raté ses examens parce qu'il ne travaillait pas assez à l'école.

他の例文
● Prenant le train tous les jours, je connais bien les gares de Keihan.
   毎日電車に乗ってるので、私は京阪沿線の駅をよく知っている。
    
  Je connais bien les gares de Keihan parce que je prends le train tous les jours.

● Ayant beaucoup de dettes , la Grèce est très embeté.
   沢山の負債を抱えて、ギリシャはすごく困っている。
    
  La Grèce est très embeté parce qu'elle a beaucoup de dettes .

● S'entrainant enormément , Marie joue de mieux en mieux au tennis.
   ものすごく練習したので、マリーはテニスがドンドン上手くなる。
    
  Marie joue de mieux en mieux au tennis parce qu'elle s'entraine enormément.

フランスでは昔、病気で学校を休むと、後で登校したときに、親が事情を書いたメモを子供に持たせ、それを先生に提出しないといけなかったそうです。
現在ならメールか電話で連絡できるから誤魔化しようがありませんね。
ほんのちょっとの間は、ずる休みがばれない、古き良き時代でした。
でも、見つかったら、さぞやお仕置きが恐かったことでしょう。


   Étant malade ,mon fils n'a pas pu l'école.  
   病気だったので、うちの息子は学校に行けませんでした

150825-04


へえ~ソーだったのか sceau, sot, saut, seau

N'ayant pas révisé , j'ai tout oublié !
復習しなかったので、すべて忘れてしまった

7月の授業の内容が、すっかり記憶から消えてしまいました。
7月4日から、復習しなければいけません。

150704-01

時は遡って7月4日のことです。
いつものように、先生は尋ねました。
「Quoi de neuf , cette semaine ?」
今週、何か目新しいことがありましたか?
フミが答えました。
ジェフェ アンソー → j'ai fait un ソー
私はソーを作りました、または 私はソーをしましたとなります。
一瞬後に 「d'accord」(OK)と先生が言ったのは、フミのジェスチャーで分かったのでした。
それでなければ、先生は、これだと思っていたでしょう。

150704-04

フミがしたのは、判子を押す仕草でした。
1,un sceau
印鑑
J'ai fait un sceau.
私は印鑑を作った
西洋には、各個人が印鑑を使うという習慣はありません。王様が、勅令に押印するぐらいでしょうね。

150704-02

実印を作り、印鑑登録をしましたと彼女は説明してました。レジストレ~~と
でも、フランス人に説明しても、まず何のことか分からないと思います。
判子を作る。そこまでは分かると思うのですが、実印、それを印鑑登録する。
でも永年日本で生活する我らの先生は知っていました。
だって、自分の判子をペンケースに入れて持って歩いてるんですよ。
でも、それは実印ではありません、名字無しで名前だけでしたからね。
実印には、姓名の記載が必要なのでした。

★実印とは住民登録をしている市区町村の役所や役場に、ご自身の戸籍上の姓名を彫刻したハンコを登録申請し、受理された印鑑のことをいいます★

ですって! こんな制度があるのは、日本だけなのでしょうか?

実印によく使われるのは、印相体かてん書体だと思います。

150704-07

2,un sot
馬鹿

150704-05
un sot trouve toujours un plus sot qui l'admire.
《馬鹿は,彼を賞賛する自分よりもっと愚かな者を見つける》とでも言ったらいいでしょうか。

類は友を呼ぶではありませんが、馬鹿は馬鹿を呼ぶですね。
こんな表現もあります。
Instruire un sot, c'est recoller un pot
馬鹿を教えるのは、壊れた壷を修復するようなものだ →馬鹿につける薬はない
もしかしたら、これって私の事かしら?

3,un saut
ジャンプ、跳躍
陸上競技の高跳び、バンジージャンプ、空中遊泳etc
J'ai fait un saut.
私はジャンプをした
やんちゃな彼女の好みそうな・・・

150704-03

先生は三つのソーがあると言いましたが、4つめもありました。

4,un seau
バケツ
J'ai fait un seau.
私はバケツを作りました
これなら、ハローウィンに使えそうです。

150704-06

この日は、現在分詞 participe présentの使い方を学んだはずでした。
ところが、私は以前教わったジェロンディフとの違いが、よく分かっていませんでした。

ジェロンディフについては、一応以前書いていたのですが・・・
ジェロンディフ (gérondif )

ジェロンディフは会話で使い、現在分詞は書き言葉として用いられる。

まあ、とりあえず、今日はこれまでにします。

彼女を殺した凶器は・・・・ボヴァリー夫人とパン屋

夏の夜明け、5時37分

1508190537

今年の夏は暑かった。いや、まだ過去形で話している場合ではありません。
もう一回、酷暑が戻って来て、秋が来るのでしょうか?でも、私は熱中症にもならず、なんとか生き延びております。
とにかく真っ昼間に外に出るのが恐いような夏でした。
《ボヴァリー夫人とパン屋》、原題 Gemme Bovery )という映画を見に行こうと思っていたのですが、なかなか出歩けませんでした。
で、上映最終日の21日金曜日に、慌てて見に行ってきました。

この映画は、フロベールの名作「ボヴァリー夫人」原題 Madame Bovaryのパロディなのです。

150821-01gemma-bovery

原作の若い女主人公エマ・ボヴァリーが、不倫と借金の末に追い詰められ自殺すると言うストーリーは知っていたのですが、ちゃんと読んだことはなかったという事に気がつきました。
だから、見に行く前に読んでおこうと思い立って、読み終わるまで行けなかったというのも第2の理由です。
買うほどのことはないし、図書館に借りに行こうか?でも暑いしなあ~・・・
そして、手っ取り早くキンドルで購入してしまったのです。
でも、その後で、我家の本棚の隅に、大昔買いこんで目を通していない世界文学全集を見つけたのでした。
トホホ、馬鹿だなあ~・・・私って!
キンドル版
150821-04

本棚にあったのがこれです。これが本当の積ん読ですね。
これを購入した頃、いつかゆっくり読もうと思っていたはずです。
がしかし、ページを開けば、あまりに小さな文字にビックリしてしまいます。
時間が出来た頃には、目も衰えるのだという事に、その頃は思い至らなかったのでした。

どっちを読んだのかというと、キンドル版です。訳者 白井浩司

150821-05

原作ではヒロインの名前は、エマ、その夫はシャルルです。
映画では、ノルマンディーの片田舎でパン屋をしている男の隣に、ある日、向かいに英国人のチャーリーとジェマ・ボヴァリー夫妻が越してくるのです。
ジェマとエマ、チャーリーはフランス語読みではシャルル。
その偶然性に、文学大好きのパン屋の小父さんは夢中になり、ジェマをエマと重ね合わせてしまうのです。
そうして、妄想を膨らませる彼の目の前で、ジェマは、ボヴァリー夫人のように、若い男と恋に落ち、また、粋な昔の恋人も姿を現します。そして、心ここにあらず状態の彼女に、夫チャーリーは怒って、彼女を残しイギリスに帰ってしまいます。
一人残った彼女に、パン屋の小父さんは、悲劇を予感して恐れ戦くのでした。
ネズミの多い台所に、ジェマが殺鼠剤を買うと、彼は猛烈に怒ります。ボヴァリー夫人は、ヒ素を飲んで自殺したからです。
ジェマも起ります。「私はマダムボヴァリーじゃない。私はジェマ・ボヴァリーよ!」
はからずも自分の恋心を見せてしまった、パン屋の小父さんは、彼女の名前を書いた(たぶんチョコレートで)おおきな丸パンを焼いて、彼女の家の出入り口に、そっと置いておきます。
苦笑いして、それを手に取り、台所におくジェマ。その時、昔の恋人が訪れ、彼女をくどき始めます。
夫の優しさに気がついたジェマは、つれなく彼の顔を見もせずに、プレゼントのパンを口に入れながら話しをしています。
そこに、夫、チャーリーが戻って来て、目にしたものは・・・流しの前で、妻を抱きかかえ、身体を揺すり立てている男の姿。
怒って殴りかかるチャーリーと、必死に抵抗する恋人・・・気がつけば、ジェマは死んでいました。
警察が彼女を運んでいき、後で、パン屋の小父さんは死因を聞きます。
彼が予測していたヒ素ではありませんでした。
映画も終わってしまったので、ネタをばらしても良いでしょう。
死因は「窒息死」だったのです。
パンをほおばっていた彼女は、突然喉を詰まらし、訪問していた昔の男は、彼女の口からパンをはき出させようと、必死で背中を叩いていたのでした。
日本では、正月に餅で喉を詰まらせる老人の話題に事欠きませんが、フランスのパンも危険なのか!
《気をつけよう!横断歩道と堅焼きパン》
そんな標語がフランスには・・・ありません。

150821-04Gemma_Bovery

そうして、お葬式も終わり、しばらく経ったとき、パン屋さんの息子がお父さんに話します。
「新しい人が隣に引っ越してきたよ。ロシア人で、Aが付く名前さ」
「アンナ・カレーニナ!」
目が飛び出しそうになったパン屋さんは、隣に飛んでいき、荷物を下ろす金髪の女性に話しかけます。
「フランス語がお上手ですね。」
その時、息子は家でお母さんから「ホントなの?」と聞かれ
「いや嘘だよ。普通のフランス人だった。」と・・・
大人をからかう高校生の息子です。

150821-03

この映画は、パン屋の小父さんの妄想で紡がれた映画ですが、この、ごくありふれた冴えない小父さんの役者が、何とも言えず、良い味を出していました。
ファブリス・ルキーニ(Fabrice Luchini)
彼は、マダムボヴァリーの大ファンで、自分の娘にエマという名前をつけているそうです。

150821-02

ジェマに、「パンを作ってみる?」と誘って、厨房で彼女がパンをこねる姿に、パン屋の小父さんの妄想が重なるシーンが、この映画の醍醐味であろうと思うのです。
でもね、食品衛生の面から見ると、パン屋さんという食品を扱うプロが、素人さんを厨房に入れて、エプロンもさせず、頭もむき出しで、パンをこねるというのは、どうなんだろう?
しかもやね、ジェマは、パンをこねながら、髪を素手で掻上げ、暑いわとセーターを脱いでしまう。
髪の毛がパンに入ったら、アカンやろう!!
美味しくても、あのパン屋のパンは、私は食べないでおこうと思います。

京都五山の送り火を一望

16日は、お盆最後の日です。
かって京都に住んでいたことがありましたが、16日の送り火を全部眺める機会はありませんでした。
賀茂川沿いをそぞろ歩きし、大文字の送り火をを見る事が出来ても、左大文字や鳥居は、方角が異なるし遠すぎて、絶対見ることが出来ないのです。

今年、京都の中心地で14階建てのマンションに住む知人から、「良かったら来て下さい。先着順で人数制限あり」というご案内を頂き、「やったー、行かなくては!」と最後の一人に滑り込みました。

しかしまあ、送り火を眺めるという言い方は不謹慎ですね。
《お見送りする》というのが正しい表現であろうと思います。済みません。

なにしろ、冠婚葬祭、仏事、法事等に、一切無関心だった私です。
若い頃は、お盆の用意をする母を見て「何でこんな意味のない事をやるのだろう」と生意気にも思っていたのです。
が、歳を重ねて、今や自分がご先祖様になりかける年頃になって、はたと気がついたのです。
葬式、法事という儀式化された形があって、人の繋がりが何とか保たれているのであろうと言う事にです。
「中身さえあれば、形などどうでも良いではないか」というのが、その頃の私の思いでした。
でも、「形があってこそ中身がついてくる」と言う事もあると気がついたのです。
茶道や華道、お稽古事というのも、まずは形から始めるしかないというのは、そういうことなんだろうなあと・・・

そして、死者を悼み、黄泉の国から、時には彼らを迎え入れ見送る時に火を焚く。
そんな儀式は、日本だけでなく、世界各地であるようです。
人間の本質は、生活習慣や宗教の形が異なっても、一緒なのかなと思わずにはいられません。

まあ、そう言う感慨はさておいて、夕刻から楽しい持ち寄りパーティーで盛り上がりました。
こんな雰囲気です。
150816-01

そして8時になるとぞろぞろと屋上に上がりました。
京都市内が360度見えるのです。
空模様は、やや小雨ですが、傘が無くても大丈夫なぐらいです。
8時2分、大文字の上の一の辺りから点火が始まりました。
望遠で撮した物を拡大したので、近くのようですが、かなり遠いです。

150816-02

煙と熱気が立ち上っています。大文字保存会の皆さん、ご苦労様です。

150816-03

5分遅れぐらいで、妙法に火が入ります。

150816-04

「妙と法では字体が違う」と言う呟きも聞かれましたが、そこまで言うかなあ?

150816-05

次に舟の形が現れてきます。一部が山の陰に入っていますが

150816-06

左大文字と鳥居は遠すぎて、焦点が定まりません。

左大文字の元画像はこれ、屋上の柵の隙間にはさまっております。

150816-08

拡大すると

150816-07

鳥居はぶれっぱなしの画像しかありませんでした。まあ、全山見たと言う記念にしておきます。

150816-09

京都の送り火の風習は、いつの頃よりあるのか?
平安時代ぐらいからと言われているそうです。
延々と千年の夏を繰り返す送り火の風習。その持続力、そのエネルギーは底知れないものを感じます。
京都町衆の誇りと財力の賜ですね。
この日の参加者のうち二人は、何代も前から京都の町中に住む、いわゆる京都人です。
その一人が言うには
「大文字保存会は、同じ町内に住んでいても、よそから来た人は入れないんです。昔から住んでいる人だけで構成されてる」
とのこと。
もの柔らかだけれど、どこまでいっても、一枚の幕でさえぎられている感じ・・・それが都人なのかもしれませんね。
祇園祭と言い、送り火と言い、
「本当に大変だろうな~、でもそれが、京都を生かす力なのかな~」と田舎から来た媼(おうな=婆さん=私)は思うのでありました。
そして、
「ああ、でもこれで冥土の土産が出来たわ!」と・・・

楽しくも崇高な夜を有り難うございました。

空を眺めて

雲になりたい・・・

150815-01

寝そべって窓からぼんやり眺める夏の雲です。
暑さは相変わらず毎日朝から30度を超えていますが、ここ数日、湿気が下がってきたのか、窓から入ってくる風が気持ちよく感じられるようになってきました。

湖に目を転じれば、お盆だというのに、湖面を走り回る船影が見えます。
お盆は、ご先祖様が里帰りをしてくる日、地獄の釜の蓋も開くとか・・・・
21世紀では、単に夏の連休と化してきているのかも知れません。

湖面を駆け抜けるモーターボート
150815-01

安倍総理の70年談話の内容が報道されましたが、これって一体何なのでしょう。
美辞麗句と悔恨の言葉をならべながら、これほど心の通っていないと感じさせる文章を書ける人は、まずいないと思います。
過去の文言を寄せ集めた、さしずめコピペ談話でしょうか。
底の浅さがすけて見えます。科学者、デザイナー、政治家までコピペ文化の時代なのでしょうか?

彼にとっての日本国民とは一体何なんでしょう。
きっと、立派な指導者(自分の事だとおもっている)が導いてやらなくてはいけない愚民だと思っているとしか私には感じられません。

70年前の8月15日、日本国民は突然戦争の終わりを告げられました。
1941年12月8日の開戦も、ラジオから突きつけられ、大戦争の渦に、庶民は巻き込まれていったのです。
もう騙され流されるのだけは止めましょう。

沖縄では、米軍と日本軍の共同演習で人身事故が出ても内容さえ知らせられず、演習による山火事が頻発しています。
国家機密法が、ドンドン拡大解釈され、私達の目に見えないところで、戦争に向っての準備がなされているのではないか・・・
若者達が気付き、行動を起こし始めているのが、救いだと考えるこの頃です。

150815-06

何とか動くからだと心を取り戻したいと思うのですが、焦ってはいけないとも思います。
なんだか、ややこしくねじくれてしまったような私の心は、素直に動いてくれないのです。
特に夕方がいけない。目蓋が落ちてきて意識が下がり、時々、頭を抱えて突っ伏してしまいます。
半分の自分が、もう半分の自分に、「頑張れ!いや、焦るな!」と言い聞かせながら動いているような感じです。

抗うつ剤パキシルと抗不安剤ワイパックを、現在、一日交替で服用しています。
睡眠導入剤レンドロミンを出来るだけ止めようと決意しましたが、まだ週に何回か服用してしまいます。
依存性が一番高いのが、睡眠導入剤だと思います。
眠くて横になったとたん、眠れないという意識が動き出すのです。
CDを聞く、本を読む、暗くした方がよいかと思ってキンドルで読むと、朝になって、なんでダウンロードしたんだろう思う本を購入していることがあります。
あげくに1時半か2時ごろ薬を飲んでしまう。
そんな繰り返しでしたが、ネットで
 不眠症を薬なしで改善・解消する方法 眠れない人が行うべき行動療法 
と言うサイトを見つけ参考に知ることにしました。
読んでいると、ちょっと笑ってしまいます。
寝室に何も持ち込まない、時計も置かない。そこで、睡眠日記をつける。
いつ眠って、どのくらい眠れなかったか記入する。
時計が無しで、それは難しいのではと思うのですが、眠れない時間というのは人は長く感じるものですし、いつ入眠したか、寝ながら書けますか?私は携帯を横に置いて時間を確かめてしまいます。
とにかく目が覚めたら一度おきて、布団の中で本は読まない。これは正解です。
眠たくないときは、いつでもおきて椅子に座る。横にならないを実行してみました。
そうすると、90分サイクルで起きて、しばしダイニングで本を読んだり、何か食べたりを、3回ぐらい繰り返すと朝が来る。
そういうパターンが分って来ました。
後は、その90分の眠りをいかにしたら良質の眠りにできるかですね。

玄関から見る、山の端に落ちる夕日です。
150815-05

日は昇り、日は沈む。
自然は、恐ろしくまた美しい。
人間は、その中で生かされ、時には災害に巻き込まれ死ぬこともある。
人間とは、助け合って、群れで生きる生態の生きものだと思うのですよ。
それなのに、人間が殺し合う世界は、いつまで続くのだろうか・・・・

愛宕千日詣り余話・・・三年生やし

台所に貼った、愛宕山の火除けのお札です。

170807-01

「三日遅れの便りを抱いて」(あんこ椿は恋の花)という歌か昔々流行りましたね。
でも、遅れてやって来るのは島に届けられる手紙だけではありません。
私には、筋肉痛も三日遅れと言わず五日遅れでやって来たのでした。
愛宕山を無事下山した翌日「思ったよりも元気だわ」と喜んだのでしたが、それは甘かった。
なんと5日目にどっと疲れがやってきました。若いときなら翌日に筋肉痛が来て終わったものですが、五日とは・・・
まあ、順調に老人力が着いてきている改めて思ったのでした。

さて、その愛宕詣りの帰りでのことです。
辺りは薄暗くなりかけ、もうやがて麓に下りようかと言う時、片手にシキミのような枝を持ち、参道を駆け上がってくる少年に出会いました。
まだ小学校低学年ぐらいで、一人で行かせるのはちょっと心配になった私は、あわてて引き留めました。
「お父さんと来たの?」答えは無しです。
「お母さんと来たの?」と尋ねると、うなずくので「お母さんは?」と重ねて聞くと、来た道を振り返り指さします。
「お母さんをおいてきたの?」と聞くと、不審な顔をして「先に来た」と返事をしました。
ゴメンゴメン、お母さんは物ではなかったわね。置いてくるとは人間に対して使う言葉ではありません。
これは小母ちゃんの聞き方が悪かった。お母さんを置いてくるなら、愛宕山ではなく楢山になってしまいそうです。

「これから先は危ないからお母さんをここで待ってから一緒に行ったら?」と言うと、彼はきっぱり答えました。
「三年生やし!」
おお、何と凛々しい答えでしょうか!
彼にとって三年生とは、一年生や二年生の子供とは違う、なんでも自分一人で出来る立派な大人なのです。
その勇気と誇りに溢れた眼差しに、私達一行は感動してしまいました。
同行の友人が「これからまっすぐ行って右に曲がったら黒い門があるから、そっちを行くんやで、三年生やし大丈夫なんやね?」
と言うと、しっかり頷いて、走り去りました。

それから下に到着するまで、私達の間では「三年生やし」が流行語となってしまいました。
「老人大学三年生やし!ではアカンよな~」「うん、インパクト無し」
やっぱり小学校3年生というのが新鮮で良いですね。
三年生になって自立心を持つ子供っていうのが何とも言えず気持ちが良くて、勇気が出る思いでした。
下から上がってくる女性を見ると、あの三年生の母は何所だろうと思わず目が彷徨ってしまうのでした。
さて無事に、麓の鳥居をくぐり渡猿橋にさしかかると、三人の若者が橋の欄干から飛び込みにチャレンジしておりました。
さっきの三年生と違って、二十歳前後の、それこそ、もう大人の自覚がありそうな年頃の若者達でした。
水面までかなりの距離があり、水も冷たそうです。
度胸試しに飛び込もうとしていたのでしょうね。
背中のラインが若いなあ~

150731-h1

「エイ!」と二人が飛び込み、一人は「俺止めとくわ」と竦んでおりました。

150731-h2

そして、もう少し歩くと歩道の横に「飛び込み禁止」の看板が立っておりました。
若いうちは無茶をしたいものですが、飛び込んでショック死したら目も当てられません。

大人の自覚とは何であるか?
さっきの小学生の方が、このお兄ちゃん達より大人の自覚を持っていたのでは無かろうかと思ったのでした。

8月6日、9日、日本人にとって忘れられない日が70年目を迎えました。
日本の総理大臣にも、大人の自覚と政治家の自覚を持って貰いたい・・・そう思わずにはいられない2015年です。

これは関係ないのですが、法然院で見た水鉢
150729-k11

猛暑の愛宕山千日詣り

京都では、暑い時こそ何かやるという伝統が延々と続いております。
これこそが本当のど根性と言うものかも知れません。
うだる暑さの中で、延々と一月もかけて行われる祇園祭。
そしまた、一番暑い頃の7月31日に毎年行われる愛宕山千日詣りというものがあります。
京都の西北にある愛宕山(924m)、その山頂にある立派な神社。
創立は700年代らしいのですが、7月31日の夜詣りを始めたのはいつからなのかは不明のようです。
7月31日から8月1日にかけて、お参りをしたら、1000日分の御利益がある。
三歳までにお参りしたら、その子は一生火難から守られるということで、多くの人がお参りに参ります。

なにしろ、医療の手立てもなかった昔、酷暑の京都では、子供達の命が、あっけなく失われることも再々だったのでしょう。
「7歳までは人にあらず」という言葉もあったようで、子供が無事に育ってくれることが、親にとっては何よりの願いだったのです。
しかし、このお参り、清滝からの表参道を歩いても、片道4.5kmあります。
上り下りの続く真夏の登山道は、健脚な大人にとっても楽なものではありません。

夜詣りがメインで、夜に登ると、深夜に神社のお火炊き行事なども拝見できます。
さぞや印象的なものであろうと思ったのですが、私は、夜に山道を歩く自信がありませんでした。
新年に心の中で建てていた目標は「今年の目標は愛宕の千日詣り」
でも、やはり無理かなと、あやうくくじけかけた時、友人が行くとの言葉に、さっそく乗っかってしまいました。
一行は、リーダーが、元気はつらつのラッキー姫、膝弱仲間のサトル姫、それに私です。

その日の朝は、背中のリュックの中身は500mlのペットボトル5本。
麦茶3本、アクエリアス1本、天然水1本、凍らせたコーラ缶。それに着替え一式と、食料・・・・・ううう、重い!

清滝のバス停に到着したのが 9時半。
170731-0938

坂道を下って 渡猿橋を渡ります。
170731-0942

橋のたもとの御堂では、信者さん達が無事を願って祈祷をあげておられました。
170731-0944

さあ、二の鳥居、ここから登りが始まります。9時50分です。
杖のいる人は、ここで、お助け杖を千円で購入できます。
170731-0945
愛宕まで、4.5km 
170731-0952

一足歩くごとに汗がしたたり落ち、首に巻いていたタオルは、すぐにびしょ濡れになりました。
流れ落ちる山水を受ける水場、お助け水で顔を洗い、ホッと一息。
第1回目の休憩には、なんと、同行の友、ラッキー姫のザックからスイカが出て来たのです。

170731-1021
通り過ぎる登山者の羨ましげな視線を気にしつつ、むさぼり喰ってしまいました。
まるで世界の1/100に当る富裕層気分を味わったのであります。
それで富裕層気分になるか~・・・だから貧乏人と言われるのかもしれませんが・・・

愛宕山の登山の目安は、丁で表され、所々に丁石が立てられています。
これは嵯峨鳥居本にある一の鳥居を起点として1丁(約110m)おきに設けられた丁石で、山頂がちょうど50丁になっているのだそうです。
ですから、登り始めの二の鳥居は14丁目とのこと。
150731-1057

登り初めてしばらくすると、1/40、10/40というように書いてある標識が目に止まりました。
これは、丁石とは別に、この地域の消防団が立てた、火災防止呼びかけの標識でした。

170731-1151

わーい、21/40だ! 11時51分に、やっと行程の半分をこしたわけです。
水尾別れに辿り着いたのが12時37分。
左に行けば水尾の里に下りる近道ですが、かなり急な坂道なので、私達は帰りも表参道を下ることにしました。 
170731-1237

右の道は、まだまだ先が続きます。この坂道を、がんばりの坂と言うらしいです。
はあ、根性だあ!
170731-1238

もうしばらく歩くと、古民家というにはボロボロすぎる建物があり、ここで水尾の村の人達が、ゆず、うめ、しそジュースや特産品を売っていました。
ゆずも梅も売り切れで、紫蘇ジュースが、後7杯だけとのこと。あわてて注文して頂きました。
天国に行くような美味しさでした。
170731-1253

ここで見つけたのが花山椒の佃煮です。
実山椒の佃煮は食べたことがありますが、花山椒は美味しいと本で読んだことがあるだけなので一度食べてみたかったのです。
食べ方は「温かいご飯に載せて食べるだけやけど・・」
1パック400円という安さでした。
150731-1254

山頂の神社の入り口である黒門が見えてきました。 13時20分。
「ここで安心してはいけないわよ。これからの登りがなかなかなのよ。」
ラッキー姫は、気の緩んだ一向に釘を刺します。

170731-1320

たしかに山道ではなくなったものの、石段が、これでもかこれでもかと続くのでありました。

170731-1343

山門をくぐり抜けると、祭の日らしい白い提灯が、参道沿いに張り巡らしてありました。

170731-1350

夜のお火炊き行事の準備に励んでいる様子です。
170731-1351 

帰りに見たら、こんな形になっておりました。
夜になれば、これに着火して、赤々とした篝火が見られるのだと思います。
170731-1440

本殿に辿り着いたのは13時53分。なんと往路に4時間ほどかかってしまいました。
標準の倍の時間ですが、まあ良しといたしましょう。
よく歩いたエライ! 自分で自分を褒めておきます。

170731-1353

日頃は静かな奥宮も、提灯の明かりで華やかに見えます。

170731-1358

お参りを済ませ、社務症で、火除けのお守りを頂き、社務所の休憩所で一息ついて、お昼を食べ、ほっこりしましたが、ここで気を抜いてはいけません。
帰り道こそ、膝の悪い私の泣き所なのでした。
気を引き締め直し、下りにかかります。名残惜しく振り返れば、社殿まで続く灯り。
170731-1441

下を見れば、やはり灯りの波が続いております。
もっともっと元気になって、今度は夜に登るのだ! まあ無理かな!

170731-1442

愛宕詣りでは、下りてくる人達は「お上りやす」と登ってくる人達に声をかけ、登っていく人達は「お下りやす」と下山者に声を掛け合います。
今まで「お下りやす」を繰り返してきたのが、今度は「お上りやす」に切り替えなくてはいけません。
ちょっと、アタフタしてしまいました。
疲れた脚を励まして下る下る。 道ばたのお地蔵さん達が励ましてくれます。

170731-1520

1歩1歩下るごとに暑さは増していき、着てきた綿のポロシャツは、ぬれ雑巾状態と化してきました。
カメラを構える余裕もなく、ザックにしまい込んで、ひたすら山麓を目指して元来た道を戻ります。
最後の1時間ほどは、脚がよれよれになり、ちょっとよろけてしまいました。
「空身で歩きなさい!」とラッキー姫が、私のザックをとって軽々と自分のザックに重ねて持ってくれ、なんとか歩き通すことが出来ました。
登ってくる人達からかけられる挨拶「お下りやす」に、「お上りやす」という代わりに、「くたばりやす」と答えそうになった私でした。
くたばりかけているのは、私自身なのですが・・・

170731-1729

17時35分。電灯が夜の気配を漂わし出しました。

170731-1735

二の鳥居に帰り着いたのが17時54分。ほぼ18時でした。
往復で8時間以上かかってしまいましたが、それでも歩けたという事だけで、一人感激しています。
お付き合い下さいました、二人に、心からの感謝を捧げます。

170731-1754