灼熱の旅・長崎~諫早 

20日も朝から焼け付くような暑さでした。
この日は、午前中時間があるので、長崎の街を歩いてみようと思い立ちましたが、なにしろ計画性のない私です。
ホテルで貰った、電車路面案内図とタウンマップを眺めて、あれこれ思案いたしました。

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平和公園、浦上天主堂、大浦天主堂、グラバー亭(今ではグラバー園と言うらしい)は昔、何度か行っているので、そこらは止めて・・・
そうだ、眼鏡橋を見ておこう。坂本龍馬がいたという亀山社中にも行ってみたい。
ということで、正覚寺行下行きの電車に乗って、ふと気がつけば、「思案橋」という停留所です。
私は思ったのです。「思案橋って有名な所だ。ぜひ下車して見ておこう」
そして、慌てて電車を降りました。

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ついでに言うと、長崎の電車は、何所まで乗っても120円で、途中で乗り換えしても大丈夫なのですが、続けて乗らないと、そこで一応精算です。アレコレ廻りたい人には、一日乗車券500円がお勧めです。

そして道行く人に尋ねたのです。「思案橋は何所ですか?」
「ここです。」 私、「はあ~?」
親切な小父様が丁寧に教えてくれました。昔は橋があったのですが、現在は地名として残っているだけだそうです。
そこのガス灯が思案橋ということで

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その足元に、石のプレートが埋め込んでありました。

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昔流行った、歌謡曲あの「思案橋ブルース」は、一体何だったのだ!
「責任をとれ!内山田洋とクールファイブ」と憤った私は、やっぱり昔人間ですかね?

この近くには、賑橋という地名も残っており、坂本龍馬が生きてた頃は、一大歓楽街であったようです。
丸山(江戸時代に遊郭があった)へ、行こうか止めようか、思案したところが、思案橋だったのか?

ああ、大人にならないと分らないわね。長崎に済んで居た頃は、まだ子供だった私を連れて歩くような場所ではないと思って、私の両親は、ここらには連れてきてくれなかったのでしょうか?
私が、初めて長崎を訪れたのは、小学6年生の春休みでした。父の転勤で、その後、1年間長崎に住むことになったのですが、初めて行った、浦上の原爆記念館で見た数々の遺品の中で、私が心の底まで凍り付いた物は、数本のガラス瓶が溶け固まっている中に入っていた、骨と化した手首から繋がる手のひらでした。
絵画や、焼け焦げた衣類より何より、その物体となってしまった人の手の恐ろしさが、いつまで経っても忘れられなかったのです。
その時はひたすら恐かったのですが、子供の時に、しっかり戦争の恐ろしさを、肌で感じる体験というのは大切だと、今になって両親に感謝する思いです。

まあ、本題に戻って・・・
思案橋からは、中国のお寺だという崇福寺が近いので行ってみました。
1629年に、長崎に住んでいた、中国、福建省の人達が、故郷福州の僧、超然を迎えて作ったお寺だそうです。
門も、お堂も、赤い色が異国情緒を漂わせていました。

入り口の楼門
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そこがお寺かと思ったら、長い階段を上らなくてはいけません。

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登ってみれば本堂が・・・
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まだ上に続く石段があったので、またまた登ってみると、なんとそこは墓地でした。
土地の少ない長崎では、死者の眠る墓地も、山の上になるのでした。
入り口からだと、200段くらい歩かないといけません。これでは、歳をとったら墓参りも難しそう。
天国への路は遠そうです。

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歩いてもいけると言う事で、眼鏡橋に行ってみました。夕暮れから夏祭りがあるのか、提灯の準備を町内会でしている様でした。

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川沿いを歩いて電車路に戻り、乗り換えて、終点の赤迫まで行ってみました。
子供の頃、街に出たら、この赤迫行きで帰ったと思います。でも終点まで行ったことがなかったのです。
で、行ってみましたが、特に何があると言う事ではなく、単に停留所があるだけでしたが、子供の時の謎「終点は何所だ?」
お陰様で、50数年ぶりのスッキリ感を味わいました。

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午後3時に、友達の車で長崎から諫早に向いました。
そして、私が昔住んでいた場所、そして通っていた中学校跡も廻ってくれたのです。

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ここが、昔の我家です!!
今は、もう記念物として門しか残っていないのですが、長崎刑務所の跡地なのでした。
私は、この内部に住んでいたわけではなく、この門の左側になる職員住宅に住んでいたのでした。
刑務所を見ると懐かしくなる私です。いいかげん、この癖は止めなくてはいけませんね。

次に行ったのが、私の心の母校、諫早高校です。
3年生になるときに転校を余儀なくされ、私は、卒業名簿には存在しないのですが、気持ちは在籍していたのでした。
「お~お、こんな良い環境の学校だったのか!」
学校の裏は城山の公園が広がり、由緒ある池と、諫早家の所有だった建物「御書院」と私達が呼んでいた建物が、校庭から続いています。
この池は、心の文字の形をしているのだそうです。

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昔、茶道部の女子達が稽古場にしていた御書院は、場所が少し移動し、藁葺きからスレート葺きに代っておりました。

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かっては木造だった校舎も、綺麗に建て代わり、今では、中学と一緒になっているのでした。
イエ~イ!帰って来たぞ~!
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そして夜。
同窓会が始まりました。
う~ん、女性達は一目で分りましたが、男性達は、名前と顔が一致しません。
昔の子供は、同級でも、異性とはあまりお喋りしませんでしたからね。
でも、話している内に、だんだんと昔の顔が浮かんでくるのです。
50年たっても、性格は変わらない。よくしゃべる人は、やっぱりよくしゃべり、無口だった人は、相変わらず無口です。
私はと言えば「あんた、ピョコピョコ動き回ってたな~」と言われてしまいました。
10分の休憩時間に、他のクラスまで行って、友達とキャーキャー騒いでいたからです。

記念写真は、だれもが嫌がりました。
「頭を写すな!」「皺がわかるけん、やめんね!」etc
私達は、気持ちは今も、中学3年生です。

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次の日は、雲仙から久留米、博多と移動し、トータル5日のバカンスで、すっかり真っ黒になって帰って来たのでした。
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灼熱の旅・長崎 8月19日

今年の6月に、中学3年の同窓会案内を貰って、私は大変驚いたのです。
なぜならば、小中高と転校を繰り返した私には、最後の高校はともかく、それ以前に居た学校関係から案内が来ることはなかったからです。
まず思ったのが「なんで分ったのだろう?」
嬉しくも、不審に思い、案内をしてくれた人に電話をかけてみたら、高校の同級生で。ただ一人年賀状のやりとりが続いている友人から知ることが出来たそうです。
そうやって、今回の世話役は、クラス約50人のうち30人以上を尋ね当て、案内を出してくれていたのでした。
そして連絡がついた人の内から、10月と言わず、同じクラスの集まれる人だけ集まろうと言う事で、お盆すぎの8月20日に同じクラスだけの同窓会をとなったのです。

私は、その一日前の19日に長崎に入りました。
中学を卒業したのは諫早ですが、中学の1年生の時、一年間だけ、私は長崎で過ごしたのです。
長崎緑が丘中学校の創立1回目の一年生だったのです。
あの学校はどうなっているのだろう?そして、私が住んで居たところは?
と思いつつ、博多から、特急カモメに乗って、長崎に・・・・・

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長崎は猛暑でありました。もっとも、この季節、何所に居ても暑いしかないのですが・・・
校内に展示してある御朱印船の模型です。

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駅前のホテルに入ると、可愛いコックさんのお出迎え。
朝ご飯付きだよ・・・東横イン

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そこで、荷物を解き、友人二人とロビーで落ち合いました。
約50年ぶりに会った二人ですが、一目で分りました。凄いものですね。
その後、私の希望で、緑が丘中学校に連れて行って貰いました。
昔は、山際の赤土路の階段を延々と歩いて上った記憶がありますが。今では、どこも舗装され、昔の面影は何所にもありません。
車道から切れ込んだ急斜面を登ると、ここだ!

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エンジンが切れたら、後に落ち込みそうな急斜面です。
こんな所に、よくぞ建てたなあ~・・・・その当時、人口急増で、どうしても学校を増やさなくてはいけなかったのですね。
ここが校庭、山の上です。
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おそらく、私の足跡は何にも残っていないでしょう。
一年間だけだったので、友達の記憶もほとんどありません。
まあ、それでも良いのだ。後輩達よ、元気に素直に育ってちょうだい。
夕方の長崎の町を見下ろしながら、ひとりつぶやいたのでした。

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その後、稲佐山の夜景を見に行こうと言うことになり、稲佐山ホテル食堂で腹ごしらえをしました。
長崎と言えば、食べなくてはいけないものはこれです。
長崎ちゃんぽんと皿うどん。
そうです。この味は、他の土地では味わえないのです。
懐かしくも、美味しい味でした。
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稲佐山山頂は、他府県ナンバーの車が一杯、駐車待ちで並んでいたので。諦めて夜景を見ながら、ホテルまで送り届けて貰いました。
第1日目は、これにて終了。





2016 五山送り火は土砂降りの雨でした

「今年もやります送り火パーティー」との、友達からの呼びかけで、喜び勇んで、16日、京都に出かけました。
ローカルな平日の湖西線が、ほぼ満席でビックリしましたが、京都駅から地下鉄に乗れば、もっとビックリ。
色んな外国語が聞こえてくきます。世界各国から京都に向って、人波は押寄せてきているようでした。
浴衣を着た人も沢山見かけました。さすが、京都の夏です。

さて、6時半頃から、友人宅で宴会開始です。
持ち寄りパーティーと言うのに、主催者Kさんは、去年と同じく、心配りのアレコレを用意して待っていてくれました。
出来る人は何でも出来るのだ!申し訳なくも、感謝感激です。
その上、十数人が、各自、一品と言わず持ってるので、様々なご馳走が集まりました。
富山名物、白エビの酢味噌、ホタルイカの醤油漬。福井の珍味、へしこ。へしこは、魚を糠で漬けたものですが、焼いて食べるのだと思っていたら、糠を落として、そのままスライスして食べるのでした。こんな、美味しい物だとは知りませんでした。
滋賀からは鮎の一夜干しになぜか柿の葉寿司。
大阪からは、大阪名物、大寅の練天。誰か、美味しい生ハムもありました。
タンパク質ばかりでは良くないと考えた人は、お手製ドレッシングと生野菜サラダ。
夏山で残ったグラノーラの砂糖絡め(すごく美味しくって、高カロリー)。
その上、スイカに、ロールケーキ、胡椒餅とデザート持ったぷり。
その他色々で、覚えきれず、ひたすら胃袋に落とし込んでいったのです。
やや遅れてやって来た、若きE君は「タコスを作ります」と・・・
私が「蛸ス?」と言うと、丁寧に「メキシコの料理で~~~」と説明をしてくれました。
いやあ、おばちゃんは、ちょっとボケて見せただけなんだけど、若者を困らせて、悪かったわね~。
ビール、ワイン、ゆずレモン酒etc

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私達は何をしに来たのであろうか?
本来の目的を、時々思いだして「まだ、時間はあるよね?」と声を掛け合うのでした。
そして、その本来の目的が始まる、8時前に、誰かの携帯に電話がはいりました。
「外は土砂降りだそうです。」
わあ~、大変だ。
テレビのスイッチを入れると、京都放送では、点火の実況中継が始まっておりました。

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とにかく屋上に行ってみよう。
快晴だったら、京都を360度見渡せる14階の屋上ですが、降りしきる雨で、一番近い大文字の火も、まったく見えません。
その上、帽子だけの私は、あっという間に、濡れ鼠になってしまいました。
そうそうに諦め、部屋に戻って、TV中継を見ながら、宴会続行になってしまったのです。

TVカメラの威力は凄いです。とても我々のカメラでは、降りしきる雨のカーテン越しにこんな映像はとれないでしょう。

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宴は、とっておきのワインを開けるところで、どっと盛り上がりました。
というのが、ワインオープナーの使い方が分らないと、寄ってたかって、チャレンジしたからです。

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「ちゃうやろ~、わしに貸してみいー」と、日本手ぬぐいで、凛々しく鉢巻きをしている、U氏が、クルクルと美事に開栓!
全員から 「ワア~」とどよめきが上がるのでした。
和食料理店の板長スタイルは伊達ではない。さすがです。

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お盆に、戻って来たご先祖様の御霊が、あの世に帰る時に、見送る為の、送り火行事です。
敬虔さが足りないぞー。
だって、経験が無いんだもん

こんなごたくを並べる、不肖の末裔達の有様を見て、ご先祖様達は、安心して、あの世に帰る事が出来たでしょうか?

私は思います。
普段のままでお会いするのが一番なのです。
ご先祖様も、このありさまをみれば「さすが、我が末裔よ。」と納得するはずです。
もしくは、我が会の先輩達ならば、
「相変わらずやな~、我が後輩達よ」と、久しぶりに帰って来て、一緒に楽しんでくれたと思っております。

では、そういうことで、ご先祖様達、また来年まで、お元気でね 

前置詞 de の使い方が未だに分らない

私は、夏休みの間に、復習をしていなかった分を、やり直そうと思っていたのです。
フランス語では、酷暑のことを、chaleur (暑さ)chaleur caniculaire(土用の)シャルー カニキュレル と言います。

kani

カニくれる?
夏場にカニなんか貰ってもなあ~・・・くれるんだったらウナギにしてえな~
と言うように、私の意識はあっちに飛んだり、こっちに飛んだり、酷暑が頭の中に、確実に進入してきているようです。


6月以降、勉強に手が着かなくなってました。机の上の山の様な手つかずのプリント類と教科書。
もうここまで授業に着いていけなくなったら、フランス語の勉強を諦めるしかないかとも思うのですが、どうしたもんでしょうね?

私が「よく分りません。」と言ったので、先生は、前置詞 de の使い方を、いかにして分らせようかと、あれこれ考えて下さって、懇切丁寧に説明してくれたのでした。それが6月11日。
その時は、分ったような気がしたのですが、聴き直して、やっぱり、ちゃんと分ってないよな~と落ち込んでいます。

Je n'ai pas compris bien l'utilisation de “ de ”.
deの使い方が、よく分らない。

例えば、目の前に、何だか分らないキーがある。
1,C'est une clé de voiture ou de vélo ?
「このキー、車の鍵なの自転車の鍵なの?」
キーは不定冠詞。特定の車でも自転車でもないから、voiture にもvéloにも冠詞はいらないのです。

C'est la clé de la voiture de Sidonie.
2,それはシドニーの車のキーです。
シドニーの車だと分っているから、定冠詞になります。

C'est une clé rouge.
それは赤いキーです。
rouge 赤は形容詞だから、直接名詞に働きかけるので de は付けてはいけない。
cle

ここまで、細かく説明してくれるんですよ。こんな出来の悪い私に・・・
他の生徒達も、ウンザリした顔もせず、よく付き合ってくれると、ひたすら感謝です。

では下記の5例の違いは何か?

1,J'ai vu un film d'Olivier Assayas.
 私は、オリビエ・アサイヤスの映画を見た。
  De +人の名前= 固有名詞(nom propre)なので、もちろん冠詞はつきません。
  
オリビエ・アサイヤスは、フランスの映画監督で、最近では『カルロス/Carlos』という、国際テロリスト扱った映画が評判だそうです。
なかなか、男前のおっちゃんです。
Assayas

2,J'ai vu un film de la réalisatrice Agnès Varda.
 私はアニエス・ヴァルダ監督の映画を見た。 
 1とどう違うのか、同じように名前がついているのですが、アニエス・ヴァルダという確定できる監督なので、定冠詞 laが着くのです。 
  Agnès Varda については、ここをクリックしてください。
agnes Varda

De + le (du) / la
これが、男の監督だったら、 de+ le=du となります。

3,J'ai vu un film des frères Dardenne.   
 私はダルデンヌ兄弟の映画を見た。
 ダルデンヌというのは、ベルギーの映画監督で、兄弟二人で映画を制作してるんだそうです。
 だから、ダルデンヌ兄弟 ( les frères Dardenne) の(de) 映画ということで 
de +les = desになります

4,J'ai vu un film d'une réalisatrice française.  私は、フランス人監督の映画を見た。
 何人もの映画監督がフランスにはいるけれども、そのうちの一人の監督(この場合女性監督)une réalisatrice の映画を見た。
 De + un / une  を使います。

5,J'ai vu des films de réalisateurs belges.
 私はベルギーの監督の映画を見た。
 ベルギー人監督が作った映画を、幾つか見た この場合、監督も一人の人でなく複数。映画も複数。
まあ、言ってみれば、ベルギー映画祭のような所で、幾つもフイルムを見たと言う状況だと思います。
自分が、はっきり認識できてる複数の監督の映画だったら de +les 1で des になるのではないかと思いますが、この場合、漠然とした、単にベルギー人のという把握の仕方だと、réalisateurs belgesは複数なんだけれど de +des = de になるのです。
De + nom commun pluriel ( =de+des)

ああ、この感覚は、難しいです。私は、絶対 des で使ってしまいそう。

その後、練習問題をしたのですが、やはり、同じように間違ってしまいました。

続けて学問を追究したいところですが、本日は、去年と同じく、京都は大文字の送り火を見に行かなくてはなりません。

さあ、遊びタイムに移行します。

Au revoir et à bientôt !

カンピョウで分った“コロンブスの卵”

夕顔からカンピョウ、そしてカンピョウ巻になる。

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カンピョウとは、干瓢と書きます。
干した瓢(フクベ)=ヒョウタンの意味ですが、本当は、夕顔の実を細くむいて干した物です。
wikipediaによれば、
ヒョウタンとユウガオは同一種であり、ヒョウタンがインドに伝わって栽培されるうち、苦味の少ない品種が食用のものとして分化、選別されたと考えられている。
フランス語で、ヒョウタンは Lagenaria sicerariaだそうで、ヨーロッパにもヒョウタンはあるのでした。

昨夜、友達から「今日、お友達のいって家に行って夕顔を貰ったので、明日持っていっても良い?」
と電話がありました。
何でも、カンピョウを作るのに、貰った人の家で半分はむいたのだけれど、時間が無くて、もう半分残ってしまったので、ピーラーを持っていくから、我家でカンピョウを一緒に作ろうという話になったのです。

カンピョウを食べたことはあるけれど、作ったことなど一度もありません。でも、本で読んだことはあります。
夕顔の産地では、実をクルクルとむいて竿に干すと、白い簾のような夏の風物詩であったと言う事です。
こんな風に
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友達宅では、カンピョウむき機を通販で買ってあって、それでむいたそうなのです。
カンピョウ剥き機というものがあるのですね~!
後で、Amazonで検索してみましたが、さすがのアマゾンにも、カンピョウむき機はおいてありませんでした。
一体、その人は、その機械をどこで買ったんでしょうね?
家庭用はこんな感じのようです。

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でも、普通の家には、そんな物は無いので、ピーラーを使ってむこうと言う事になりました。

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この半分になった夕顔には、確かに機械を当てたような切り目が残っていました。
こんな風に、ピーラーを当ててみたのですが、ほんの少しの幅しか出来ませんでした。
この時点で、半個分の夕顔は 、切りやすいようにと1/4 に分割しました。
この、細切れ状態に、切り刻んだのも、失敗の基だったと、後になって後悔です。

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ピーラーでダメなら、包丁でしようと言うことになり、必死になって切って見たのがこれ。
そして、これが、作品群の中では一番長いものとなりました。

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「私達って「なんて不器用なんでしょう。でも短くなっても、食べるときの味は一緒だからね。」
などと話ながら出来上がったのがこれです。

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何所から見ても、スダレには見えません。もっと短い物はざるに並べて干すことにしました。

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種が入ってる綿の部分も、煮物にして食べると美味しいとのことで、後で出汁と醤油と味醂味で、生椎茸と煮てみました。

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もし、カンピョウ農家の人が、このブログを見たら、爆笑するか、怒り狂うかですね。
なぜならば、私は、夜になって、カンピョウのむき方を、インターネットで調べてみたら、基本的な大きな間違いを発見したのです。

夕顔の実を、カンピョウにするために、手でむくときは、外側からむいてはいけないのです。
輪切りにしたものを、内側から、刃を当てて、薄く薄く、むいていかなくてはいけないのでした。
こんな風に
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内側の柔らかい部分からだと、絶対的にむきやすいのです。
分ってみれば、「ああ、そうなんだ。」 まさに、コロンブスの卵です。

それに、紐状にむくことが出来ないならば、そのまま料理して食べる事も出来たのでした。
ほぼ、冬瓜と同じような味と舌触りだと思います。

でも、もう干してしまったし、どうしましょう!
きっと、カンピョウとして、最後を全うするまでには至らないと思います。
半干し状態で、きっと食べてしまいそうな予感がしています。

でも、このヒョウタンもどきで、私達は、爆笑に包まれながら、暑い夏の一日を楽しく過ごすことが出来ました。

まあ、それだけで上等だと思わなくてはいけませんね。

夏 怒りのロック

梅雨が明けて、毎日、外に出たら燃え上がりそうな暑さの日が続いています。
東京では、祭りの行列の間隙に、火炎瓶が炎上したとか・・・・
「ニュースで仕入れた事件のまねごとはいい加減に止めんかい!」
と、私の怒りも、暑さのせいか沸沸と煮えたぎってきています。
参院選、都知事選の後、「日本はこれで本当に良いの?」とかなり落ち込みモードで、低迷していた私の気力ですが、ささやかな怒り。
そう言う物も、時には元気の源となるようです。

ロックの怒りその1

夏の風物詩と言えば、かき氷です。
昔、駄菓子とか雑貨を売っている近所の店先で、製氷機をまわして、シャリシャリと音を立てて削られた氷に、真っ赤なイチゴ蜜をかけたかき氷。その上に、練乳が掛っていたら、最高の歓びでした。
で、駅前のスーパーのフードコーナで見かけた《ラムネ》と《かき氷》です。

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うお~、ラムネ!懐かしいなあ~と思いましたが、私は、かき氷を頼んだのです。
でも、このプラスチックスプーンを差し込んで持ち上げると・・・固い・・・
確かにかき氷なのですが、サラサラでシャリシャリのあの感じがないのであります。
きっと、かき氷にした後、冷凍庫に入れて保存してあるのを出してきたに違いない。
かき氷ならぬ、ロック氷ではないか!めちゃ腹立つ~~!
私って、そんなつまらない事に怒る人間になったのであろうか?いえいえ、これも暑さのせいです。

ロックの怒り、その2

スマホの使い方に、やっと慣れてきたと思う今日この頃ですが、スマホを開くと、最初の画面に、毎日のように、「セキュリティ-が脅かされていますから、○○をインストールしてください」もしくは「重たくなっていますからスキャンしてください」
こんなようなメッセージが、幾つも出てくるのです。
そこで、一度、Yモバイルの店に行って、スマホの画面に幾つもある、セキュリティアイコンで不用な物を消して欲しいと相談しましたが、その時の担当の人は、あまり詳しく知らないようで、そのまま継続となりました。
あまりしつこく出るので、指示の通りインストールをしなくてはいけないのかなとボタンを押したのです。
こんな盾の模様のアプリです。
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その操作の指示に従って行くと、ロックの方法を決めて下さいと出て、「なんで?」と思ったけれど、やってしまったら・・・
なんと!電話、メール、写真を見る、検索をする。
それら全てに、どれもこれもロックがかかっていて、一々解除しないと開けなくなっていました。
まあ、やってしまった私が悪いのです。
「責任者を出せ」というなら、インストールしてしまった私なのですが・・・
それにしても、あんまりや!これこそが、本当の怒りのロックなのであります。
オバハンは、切れたぞ~!!!

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まあ、このまま行こうかと、半分諦めていたのですが、先日、Yモバイルに相談に行きました。
担当者が言うには「これは、ちょっと危ない危ないかも知れない」と言う事で、最終的に、スマホの初期化をして貰うことにしました。
つまり、今までで設定していた、アレコレが全部飛んでしまうのでした。
メールやラインの内容も消えてしまいます。
電話帳と写真は、ダウンロードで再生できるので、まあ良しとして、「エエイ、女は度胸だ!」でやって貰いました。
 
この操作をして貰った後に、Googleのメール通知で届きました。
私のアカウントに、よそから誰かだログインしようとしたのでロックしました。
「あなたのアカウントにログインしようとした人がいます。出来たら暗証番号を変更して下さい」とのことです。
その操作がされた場所は、東京で、スマホからのようでした。
ということは、誰かが、私のアカウントを知って、もしくは入手して、侵入しようとしたと言う事ではないですか?
このアカウントは、以前使っていた物で、削除してないけれど、今はほとんど使ってない物なのです。
すごく気持ちが悪くなって、このアカウントを削除してしまいました。
が、そこに残していた、メールの送受信記録がすべてダメになってしまいました。
先生から貰ったメールや、私がたどたどしく仏語で書いたメールが、全部無くなってしまいました。ちょっと悲しい。

そんなこんなで、この日は、家に帰って、後の色々な設定をするのに夕方まで掛ってしまいました。
そして、肝心のwi-fi 設定です。これを、やっておかないと多大な課金をされる恐れがあります。
ところが、前回出来たのだから大丈夫と、接続の設定はしたのですが、最終的にWi-Fiマークがつかないのです。
苦闘のあげく、夜7時頃、またお店に持っていって相談しました。
店は、Wi-Fiスポットになっているので、私のスマホでもi-Fiで繋がりました。
しかし、我家で自宅のWi-Fiに繋げないのはなぜだ?問題は、我家に有りです。
「キーコードでなくpinコードで、やってみたら繋がることもありますから、もう一度やってみて下さい」
と言われ、家に帰って、オリンピックも無視して頑張りましたが出来ない!
なぜだ?なぜだ?
もう一度、接続器の暗証コードをしみじみ見て分りました。小文字 c を e と見間違えていたのでした。
それもこれも、老眼のなせる技です。
そこで、もう一度、入力しなおしたら・・・・

で、で、で、出た~~~~~バンザイ!

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こうして、私の夏のバカンスは、むなしく過ぎ去り、休みの間にしようと思ってた勉強に、まったく手が付けられておりません。

とりあえず、生きています報告を兼ねて、スマホ騒動をお送りします。