綾部市散策 グンゼ記念館~大本教~手焼き煎餅
9月25日、昔通っていた、社会人学校友の会のバスツアーに、今年は参加する事が出来ました。
イベントとして29年目になる、このバスツアーですが、毎回、興味深いコースを案内してくれるので、今回も楽しませて貰いました。
近くて遠い、京都から車で1時間ちょっとで行ける綾部。
日本海側に抜ける時の通過点として、通り過ぎてしまう所なのですが、じっくりと見学しましょう。
京都駅八条口8時出発。
まずは、京都縦貫道を、道の駅「京丹波味夢の里」まで、9:00、でもここはトイレ休憩だけで、買物は我慢です。
9時半に綾部市内に入り、まずは、綾部市資料館で、係の方に、綾部は弥生時代から栄えていて、古墳が沢山ある。また、足利尊氏のお母さんの実家がここで、彼は此所で生まれたのかもとか、「はあー、へえー」の私達でした。
次に行ったのが、グンゼスクエアです。
ここで、繊維会社として名前を知られているグンゼの記念館を見学。

明治29年に創業された時の会社名は、漢字の【郡是】であったそうです。

50年で、資本金20万円が2億5千万になるだろうというのは、かなりユートピア思考だと思うのですが・・・
下の地図は、当時の未来予想図だと思います。

国の方針を国是というように、この地方、何鹿郡(いかるがぐん)の進むべき道となるような会社を作ろうと、波多野鶴吉さんが1896年(明治29年)に、38歳で、この会社を作ったそうです。
下記の社訓はすごい、全てに完璧、パーフェクトって、それはありえへんやろう?
でも、最後の行で、「ことを祈願し実行す」とあるので、ちょっとホッとしました。
最後に、完璧であることを願うけれど、出来るだけ頑張りますモードで落ち着きました。

その時代には珍しく、社員教育や厚生福利に手厚く、それが良い製品を生み出したのだと・・・担当の方が説明してくれたのです。
しっかり働いた工女さん達には、ご褒美に、嫁入りの時に役立つようタンスをプレゼントしたそうです。
キリスト教に基づく教育と、家族的雰囲気の、昔の日本企業の良い方のモデルだったようです。
これが、繭取り機。不器用な私は、きっと、すぐ首になったと思います。

この後、グンゼ博物苑の記念蔵を見学しました。
5200gの繭玉が

1キロの生糸になり

一反の絹の布になるそうです

繭にも色々種類があって、色もさまざまです。

絹のハンモックに包まれる心地よさを味合う一時でした。

食事の後、大本教本部を参詣させて貰いました。
私は、その名しか知らなかったのですが、広大な敷地に並ぶ、何棟もの神殿にビックリしました。
案内をしてくださった係の方は、一般の見学者である我々にも、嫌な顔もせず、たっぷり案内してくださいました。
とにかく広い!
梅松苑参拝マップより一部引用(クリックしたら大きい地図になります)

弥勒殿、写真は館内撮影は禁止です。

長生殿を眺める

この宗教は、明治25年に、57歳の女性に神様が下りてきて始まったそうです。
彼女を開祖、出口なおと言い、彼女と出会って、実質の運営をしたのが 2代目とは呼ばなくて、聖師と呼ばれる、出口王仁三郎(デグチオニサブロウ)でした。
この人は、なおさんの娘(2代目教主)と結婚したそうですが、なかなかのやり手だったんでしょうね。そして、やりすぎた。
宗教が興隆するとき、必ず激烈な布教者が現れ、以前からある宗教の既製教団、そして国家権力から弾圧されるのは世の習いです。
法然、親鸞、日蓮、蓮如など、皆さん、宗教者でなかったら、下克上の時代に一国一城の主になっていようか思えるような、パワーあふれる人がいるのだ。などと思うのでした。
第2次世界大戦さなかの、1935年(昭和10年)に起こった第二次大本事件というのが、宗教弾圧として語り伝えられています。
このとき50人ぐらいの幹部が逮捕され、裁判にかけられたのですが、1942年(昭和17年)7月31日。
なんと、高野綱雄裁判長は治安維持法関係全員無罪の判決を言い渡した。
この時代に、国策に反対の立場での判決を出した裁判官ってすごいなあ~、私は、そちらの方に感動を受けました。
今の時代にも、こんな裁判官達が居続けてくれるなら、今の日本も少しはマシになるのだがと・・・
大本事件 について知りたい方はウキペディア調べてください。
教主が、代々女性というのも、卑弥呼の時代から繋がる日本のシャーマニズムの流れの影響かしら?
建物は、神道の雰囲気なんだけれどと、私はとても興味深く拝観させて貰いました。
そして、この宗教は、今も栄えているのかしら?
信者様の篤いお志で支えられているお社を拝観すると、充分お栄えになっているようです。
家に帰ったら この事件をモデルにしたと言われる 邪宗門 (高橋和巳著)を読んでみようと思いました。
さて、この次は、体験学習です。
というか、私達の意識は、すっかり神々しさから、俗世の食い気に移ってしまいました。
お米菓子 いっぷく半月庵 で手焼き煎餅を、自分で作るのです。

準備していただいた、一人5枚の煎餅を、金網で10カウントしながら、3,4回ひっくり返し、焼ける前に、土鍋ならぬ土の籠手で平らに慣らします。これが難しいのです。
一つ割れちゃいました!

こんがり焼けたら醤油を塗って完成です。焼きながら食べてしまう人、お土産に持って帰るひと様々です。
私は2枚食べて、のこりは・・・
さあ、いくらで売ろうかな?

綾部の最後のシメは、赤尾漢方薬局の薬膳茶をいただき、お話を伺うというものでした。
身体の不調を相談する人には、漢方のアドバイスをしてもらえます。

試飲は、レモンハーブティー等の3種類から一品選べます。
私は、血の巡りをよくする、なつめチャイをいただきました。
温めた豆乳にナツメのエキスを入れてあって、とても美味しかったです。
血の巡りは良くなっても、残念ながら頭の巡りまでまでは良くならないようでした。
話し好きな、ご主人で、とても楽しい一時を過ごしました。

「なんでも質問して下さい?」
はーいと手を上げた私です。
「なんで綾部なのに、奈良町しぐれの額があるんですか?」
とまったく、漢方に関係しない質問でしたが、ご主人が、奈良町に行ったとき見つけ、その歌が気に入って、プリントしてある手ぬぐいを買ってきて額にした物だそうです。
綾部と奈良は姉妹都市かと思ったのですが、そうではなかったようです。

往路で買物の出来無かった、「京丹波味夢の里」に再び立ち寄り、地元の野菜、秋の味覚栗、美味しいジャム等の戦利品を、それぞれが手にして、たのしい帰路についたのでした。
目出度し目出度し・・・
イベントとして29年目になる、このバスツアーですが、毎回、興味深いコースを案内してくれるので、今回も楽しませて貰いました。
近くて遠い、京都から車で1時間ちょっとで行ける綾部。
日本海側に抜ける時の通過点として、通り過ぎてしまう所なのですが、じっくりと見学しましょう。
京都駅八条口8時出発。
まずは、京都縦貫道を、道の駅「京丹波味夢の里」まで、9:00、でもここはトイレ休憩だけで、買物は我慢です。
9時半に綾部市内に入り、まずは、綾部市資料館で、係の方に、綾部は弥生時代から栄えていて、古墳が沢山ある。また、足利尊氏のお母さんの実家がここで、彼は此所で生まれたのかもとか、「はあー、へえー」の私達でした。
次に行ったのが、グンゼスクエアです。
ここで、繊維会社として名前を知られているグンゼの記念館を見学。

明治29年に創業された時の会社名は、漢字の【郡是】であったそうです。

50年で、資本金20万円が2億5千万になるだろうというのは、かなりユートピア思考だと思うのですが・・・
下の地図は、当時の未来予想図だと思います。

国の方針を国是というように、この地方、何鹿郡(いかるがぐん)の進むべき道となるような会社を作ろうと、波多野鶴吉さんが1896年(明治29年)に、38歳で、この会社を作ったそうです。
下記の社訓はすごい、全てに完璧、パーフェクトって、それはありえへんやろう?
でも、最後の行で、「ことを祈願し実行す」とあるので、ちょっとホッとしました。
最後に、完璧であることを願うけれど、出来るだけ頑張りますモードで落ち着きました。

その時代には珍しく、社員教育や厚生福利に手厚く、それが良い製品を生み出したのだと・・・担当の方が説明してくれたのです。
しっかり働いた工女さん達には、ご褒美に、嫁入りの時に役立つようタンスをプレゼントしたそうです。
キリスト教に基づく教育と、家族的雰囲気の、昔の日本企業の良い方のモデルだったようです。
これが、繭取り機。不器用な私は、きっと、すぐ首になったと思います。

この後、グンゼ博物苑の記念蔵を見学しました。
5200gの繭玉が

1キロの生糸になり

一反の絹の布になるそうです

繭にも色々種類があって、色もさまざまです。

絹のハンモックに包まれる心地よさを味合う一時でした。

食事の後、大本教本部を参詣させて貰いました。
私は、その名しか知らなかったのですが、広大な敷地に並ぶ、何棟もの神殿にビックリしました。
案内をしてくださった係の方は、一般の見学者である我々にも、嫌な顔もせず、たっぷり案内してくださいました。
とにかく広い!
梅松苑参拝マップより一部引用(クリックしたら大きい地図になります)

弥勒殿、写真は館内撮影は禁止です。

長生殿を眺める

この宗教は、明治25年に、57歳の女性に神様が下りてきて始まったそうです。
彼女を開祖、出口なおと言い、彼女と出会って、実質の運営をしたのが 2代目とは呼ばなくて、聖師と呼ばれる、出口王仁三郎(デグチオニサブロウ)でした。
この人は、なおさんの娘(2代目教主)と結婚したそうですが、なかなかのやり手だったんでしょうね。そして、やりすぎた。
宗教が興隆するとき、必ず激烈な布教者が現れ、以前からある宗教の既製教団、そして国家権力から弾圧されるのは世の習いです。
法然、親鸞、日蓮、蓮如など、皆さん、宗教者でなかったら、下克上の時代に一国一城の主になっていようか思えるような、パワーあふれる人がいるのだ。などと思うのでした。
第2次世界大戦さなかの、1935年(昭和10年)に起こった第二次大本事件というのが、宗教弾圧として語り伝えられています。
このとき50人ぐらいの幹部が逮捕され、裁判にかけられたのですが、1942年(昭和17年)7月31日。
なんと、高野綱雄裁判長は治安維持法関係全員無罪の判決を言い渡した。
この時代に、国策に反対の立場での判決を出した裁判官ってすごいなあ~、私は、そちらの方に感動を受けました。
今の時代にも、こんな裁判官達が居続けてくれるなら、今の日本も少しはマシになるのだがと・・・
大本事件 について知りたい方はウキペディア調べてください。
教主が、代々女性というのも、卑弥呼の時代から繋がる日本のシャーマニズムの流れの影響かしら?
建物は、神道の雰囲気なんだけれどと、私はとても興味深く拝観させて貰いました。
そして、この宗教は、今も栄えているのかしら?
信者様の篤いお志で支えられているお社を拝観すると、充分お栄えになっているようです。
家に帰ったら この事件をモデルにしたと言われる 邪宗門 (高橋和巳著)を読んでみようと思いました。
さて、この次は、体験学習です。
というか、私達の意識は、すっかり神々しさから、俗世の食い気に移ってしまいました。
お米菓子 いっぷく半月庵 で手焼き煎餅を、自分で作るのです。

準備していただいた、一人5枚の煎餅を、金網で10カウントしながら、3,4回ひっくり返し、焼ける前に、土鍋ならぬ土の籠手で平らに慣らします。これが難しいのです。
一つ割れちゃいました!

こんがり焼けたら醤油を塗って完成です。焼きながら食べてしまう人、お土産に持って帰るひと様々です。
私は2枚食べて、のこりは・・・
さあ、いくらで売ろうかな?

綾部の最後のシメは、赤尾漢方薬局の薬膳茶をいただき、お話を伺うというものでした。
身体の不調を相談する人には、漢方のアドバイスをしてもらえます。

試飲は、レモンハーブティー等の3種類から一品選べます。
私は、血の巡りをよくする、なつめチャイをいただきました。
温めた豆乳にナツメのエキスを入れてあって、とても美味しかったです。
血の巡りは良くなっても、残念ながら頭の巡りまでまでは良くならないようでした。
話し好きな、ご主人で、とても楽しい一時を過ごしました。

「なんでも質問して下さい?」
はーいと手を上げた私です。
「なんで綾部なのに、奈良町しぐれの額があるんですか?」
とまったく、漢方に関係しない質問でしたが、ご主人が、奈良町に行ったとき見つけ、その歌が気に入って、プリントしてある手ぬぐいを買ってきて額にした物だそうです。
綾部と奈良は姉妹都市かと思ったのですが、そうではなかったようです。

往路で買物の出来無かった、「京丹波味夢の里」に再び立ち寄り、地元の野菜、秋の味覚栗、美味しいジャム等の戦利品を、それぞれが手にして、たのしい帰路についたのでした。
目出度し目出度し・・・
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