二日旅の九州

先週、胃カメラ検査をして、その後、土曜、日曜で、長崎を往復してきました。
胃カメラと長崎と、どういう関係があるのかというと、まったく関係はないのです。
まあ、しいて言えば、ポリープが見つからなかったということで、安心して飲み食い出来るというぐらいのことでしょうか。

22日の朝に家をたって、午後3時半には着けるのです。
九州新幹線で、博多乗り換え、カモメ長崎行き、昔と比べたら、何と便利になったかと感心します。

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今回は、8月にクラスだけで予行演習をした中学校同窓会本番に参加したのでした。
10クラスで約500人のうち、109名が参加したとのことで、幹事になった方々の奮闘努力に感心いたしました。
おそらくこれが、最後の同窓会の集まりとなるでしょう。私にとっては最初で最後となるわけですが・・・

それで分ったのは、覚えている友達は、中学2年、3年で同級だった数名だけで、それ以上では無かったこと。
転校生であった私には、小学校からの友達の繋がりが無かった事もあり、思い出せる顔は、そこいらが限度でした。
でも、連絡が付かなくなっていた仲良しだった3、4人の女の子(だった)達と、再交流が出来るようになったのは嬉しいことでした。

かって働いていた職場は、男社会の抑圧というものを直接感じる処では無かったので、21世紀の今、我々の世代には、親達の世代のような男女差別意識は無いだろうと、私は思い込んでおりました。
ところがどっこいです。
冗談のつもりでというか、それが女性達を喜ばすと思って話す男達の会話に、私は、はっきり言ってウンザリしてしまいました。
会社で接待が出来無きゃ出世できないetc。うれしそうな話から漏れ聞こえるエコノミックアニマルの男社会。豊洲やオリンピック、汚職が絶えないわけはこれなのかと!
仕事の話で無ければ、突然、自分の自慢話。日本の男というのは、話題性に乏しく、無口なのかなと思っていたら、酒を飲んで心が開くと、突然、話し出すのです。それも自分の事だけを・・・

ひとりの女友達の感想 「男のこげんしゃべるとは思わんかったとよ!」
訳しますれば、「男という物が、こんなにお喋りな生きものだとは思っていませんでした」という意味です。

50年の歳月が経って、理解したことは、50年で男社会の構造は変わっていないと言う事でした。
ガラスの天井を破ることが出来るのは、まだまだ何十年、何百年も掛るかも知れませんが、女性は、少しずつ賢くなって力を蓄えてきてるように私には思えました。

まあ、世間知らずの私には、勉強になった一日でした。

そして翌日、私は、その地に住む従姉妹と再会したのでした。
といっても、私には、彼女の記憶が無く、どういう繋がりの従姉妹かも分っておりませんでした。
出かける3日前に、電話で連絡が付き、この日に会おうと言うことになったのです。
おうちに伺ってお話を聞いて、父の姉の、4人の子供の一番下の娘さんであること。私が、彼女と最後に会ったのは、私が3歳頃であったろうということ。その時彼女は、すでに小学校の先生をしていたとのこと etc
私が知らない、故郷のことや、父母、伯父叔母、従兄弟、従姉妹達の事を、いろいろ教えて貰いました。
両親が元気なときに、昔の話をちゃんと聞いて記憶の留めておいたらよかったなあと、今になってつくづく後悔するのでした。
彼女と私は17歳違い、でも、とてもお元気で聡明かつ記憶力抜群で感心しました。
次の週に、人工膝関節の手術をして、元気になったら、まだ行けてない日本海側を旅したいとの抱負を話され、私は、すごく沢山の元気を貰って来る事がでいたのです。
この7月までは、マニュアル車を運転していたが、自動車保険が切れたので廃車にしたのだそうです。
私は思わず勧めてしまいました。
「新車を買ったらどうですか?息子さんビックリしますよ!」
「その顔が見て見たいから、言ってみようかしら」と2人で大笑いしました。

こうして、4夕方の特急そして博多から桜に乗って帰宅いたしました。

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ローカル線島原鉄道には、島原地方の子守歌のイラストが可愛かったです。


帰り着くのは夜遅くなるので、夕食は新幹線の中で・・・
九州のシメは、やはりこれです。
辛子明太子と新米が、とても美味しく調和しておりました。

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そろそろ、自分の仕事に戻らないと行けないのですが、さっぱり勉強できていません。

私達の羊が鳴いているよね。

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これは、先生のことを言ってるわけでは無いのですよ。

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団塊世代の最後の争奪戦・・・墓場ラッシュ

「ゆりかごから墓場まで」というスローガンが、昔ありましたね。
Wikipediaに寄りますと 「社会保障制度の充実を形容する言葉で、第二次世界大戦後にイギリス労働党の掲げたスローガンである。」
とのことですが、残念ながら、それは、鉄の女性首相と言われたサッチャーさんの時代で、夢と消えてしまった様です。
さて、我が国日本では、第2次世界大戦後に、どっと生まれたベビーブーマー達にとって、「ゆりかごから墓場まで」それは、常に定員オーバーの競争の場でしかありませんでした。
私が小さかった頃は保育園なんて存在して無かったように思います。
幼稚園はあったようですが、貧乏な我家には縁の無いところでした。
小学校、中学校もそれまでの校舎では間に合わなくて、アチコチで新設されました。
私の小学校1年の時は、一クラス50人以上で、たしか12組まであったし、中学校は、三年生のいない、1年生と2年生だけの新設の校舎でした。
そして義務教育が終れば、その後の、受験戦争、就職戦争、結婚戦争(?)

どれもこれも闘いの日々だったのかも知れません。
が、高きを望まぬ、いや望めぬ、ぼんやり者の私は、どうやら、全部の闘いに乗り遅れてしまっていたのかと実感するこの頃です。
そして今、世間は「おひとり様」ブームであります。

「おひとり様」というと、自由で豊かな自立した女性というイメージだそうですが、私については、そんな上等なものではありません。単に、親に先立たれ、配偶者も無く、子供もいないというだけのことです。
漢字で表すなら 《孤独》な状態と言うのが適切なのかも。
何かで読んだのですが、『孤』ととは親がいない、『独』とは子供がいない、状態だそうです。
だからといって、とりわけ寂しさを感じることもありません。

まあそんなこんなで、最終ゴールが近くなってきた今日この頃です。
それはまったく構わないのですが、ある日、「このまま死んだら、周りに凄く迷惑をかける」と気付いたのです。
それは、2年程前、外出先で気分が悪くなり、救急病院にご厄介になったときでした。
「ここで、私が死んだら、一緒に来てくれた友達は、とれも大変だ。どうしたら良いだろうと途方に暮れるだろう」と思ったのであります。その友達は、私の住所は知っているが身内の連絡先は知らないからです。
意識が無くなるか死亡した場合、やむなく警察に連絡して調べて貰うしかないということになります。
そうすると、警察で何とか血縁者を見つけ出し、連絡が行くことになるのでしょうね。

いずれもうすぐ、甥姪達が私の死亡後の連絡先となります。子供のないおひとり様に対して、三親等の同等血族が多すぎるのです。10人ほどもいる甥や姪に連絡が入ったら、誰がどうしたら良いんだ?誰がやるのだと大騒ぎになるでしょう。
死後の後始末をしてやりたくても、彼等すべての合意が必要で、法的手続きを踏まなくてはいけないからです。
それは時間も人間関係も拘わってくる大変な厄介ごとに違いありません。

お一人様の死は、残された親戚にとって、本当にやっかいなんです。
人にご迷惑は掛けたくありません。しかしながら、死骸を火葬場に持っていく。悪いけれど、それだけは自分では出来ないですよね。

そこで、今年、後始末をシンプルにするために、二つのことを処理しておきました。

まず、第1は公正証書で遺言書を作成し、遺言執行人も、本人の了承をもらって決めました。
ほとんど財産は無い私けれど、年金が振り込まれる通帳一つしかないにしても、ちゃんと遺言しておかないと、後が大変な時代です。
公正遺言証書を作りにはどうしたらよいか?
知り合いの弁護士事務所に相談し、下書きを作って貰い、下準備をした上で、二人の証人をつれて、公証人役場に行きました。
自分で作成できる人は、直接公証人役場で相談したら何とか出来ると思いますが、私には難しすぎたので・・・

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弁護士さんの話では「あなたの場合は、最低の費用で済みます。」との事でした。
たしかに最低の費用であったようです。がでもやっぱり、「もったいない~」と思いました。トホホ・・・

公証人役場では、スムーズに書類だけで済むのかと思ったら、まるで簡易裁判であるかのように、公証人さんが、内容に間違いが無いか、自分の意思で作ったのかと、あれこれ尋ねるのでした。今の時代、お年寄りをだまして、公正証書をつくらせ、殺して財産を取り込んでしまうという商売もあり得るからでしょうね。
最後に「公正証書を作ってしまったからと言って、残さなくても良いんですよ。」
心配しないでも使い切って死になさいという、優しい助言でございました。
ちなみに、公正証書は、死亡届が無い限り120歳まで保管されるとのことです。
数年前までは、100歳までの保管期限だったそうですが、今では100歳を超す人が多すぎて、期限が延びたとのこと。
その後は、どうするって?120歳の時点で更新するのです。

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遺体、つまり火葬後の骨をしまう場所を決めました。
「死骸なんて、そこら辺に捨てて欲しい」という希望を述べる人も、結構いるようですが、故人の意思に従って、そのまま路上および山野に、死体を放置する事は日本ではタブーであります。
おそらく、鳥葬希望というのも無理ではないかと思います。
誰か申し込んでみた人がいるなら聞いてみたい物ですが・・・

親と一緒の墓に入れて貰う事も考えましたが、先祖代々の墓が存続するとも思えません。
土となり、リサイクル、いや自然のサイクルの中で、他の命の糧となるのが一番だと思います。
「畑の隅に埋めてちょうだい」と言っても、それもご迷惑です。
ということで、永年住み暮らした京都のお寺の樹木葬を申し込みました。
墓地となる庭園に、骨壺から出して紙か布にに包んで埋め貰うので、1年も経たずに土に戻ることでしょう。
何件かネットで調べて、ここに決めました。

即宗院の樹木葬
決め手は、ご住職様のお人柄です。
「臨済宗は、極楽も地獄もありません。死んだらそれでおしまいです。」
私好みのキャラクーで、またご自分で毎日手入れをされているお庭が、実に心地良いのです。
経営管理者主体は、宗教法人となっていて運営は会社が請負っているようなので「ほんまに大丈夫かいな?」と疑い深い私は、最初に思いました。
まあ、最終、墓地が潰れてしまったとしても、それはそれで良いではありませんか。

そういうこちで、このブログが、3ヶ月途絶えたら、そっちの住所に引っ越したと思って下さい。
そして、秋の東福寺の紅葉がTVに映ったら、あんな奴がいたなと思いだしてもらえるのではと・・・

で、10月8日、授業をサボって、秋の合同法要祭に参加しました。

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もうすでに開門を待っている人が居ると思ったのですが、この人達は、お弁当を食べるために座り込んでいた、単なる観光客でした。
私達は、待たずに横の入り口から入ったら良かったのでした。
会員になると、死ぬまでは、年会費5000円で、年2回の合同供養祭に参加できます。
死んだら「自然苑」に入って会費は不要になります。
すごくシンプルなシステムです。
塀の前は、無縁仏になった墓を寄せたもので、その後の壁の向こう側の地所が、即宗会会員の骨が納められる場所です。

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申し込む前、ブログで拝見した記事では、2012年の最初の合同供養祭では10人あまりの参加者だったそうです。
今回は100名を越えたとか・・こりゃ申込を急がないといけないと、気の焦りそうな話です。
団塊の世代には、最後までラッシュが伴うのでありました。

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初めて出会った人達と、ワイワイガヤガヤおしゃべりしました。
「場所が足りなくなったら、後の葱畑を潰したら、もっといけるよね」などと話しておりました。
各自の墓石は無しで、このクマザサの下25センチ四方が各自の持ち分です。
まあ、どうせ土に帰るんだし、そんなことはどうでも良しです。
すべて費用は支払い済みなので、指定した遺族が、骨を持って行ったら、それだけで全て事足ります。
何にもしないでは持っていく人の気が引けるだろうと思い、納骨の時、この場でお経を上げていただくということで申し込んでおきました。

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墓地の横に、石碑が4本建っていて、入居者(?)というのは変かな?すでに名前が入れてありました。
亡くなっている人は黒字で、入居予定者は赤字で書かれると言うことで、これも希望者のみ有料。
これも無しでも構わないのですが、一応記載して貰うことにしていましたら、この合同法言う際の時点で、もう名前が刻んでありました。
下から5番目の赤字なんですけれど・・・

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でも墓石屋さん、これって、名前間違ってるんです。
家に帰って写真を拡大して見て、どうしようと思いました。
このままでも、かまへんけれど・・・・

名を挙げるのは不味いかなと思ったけれど、あまりにも面白くて書きます。
私の生きてる今の名前は、今のところ、あの色々問題を抱えた大手の銀行と同じ名前なのですが、墓碑銘には このように書いてありました。

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私の人生最後までミスなのか?
これでは、人生最後で最大のミスになるのではないかと、画像を見ながら、ひとり爆笑してしまいました。
後日、訂正を電話でお願いしたら、濁点付きの写真が、お詫びの言葉と共に送られてきました。ご苦労様。

ご住職様のお話もメチャ面白く、ここに入居するまでには、即宗院ネタで、まだまだ、色々と楽しめそうです。


理解か誤解か

前回(10月1日授業)の続きです。
9月28日のスイスの新聞 le temp から8つのテーマを取り上げて、先生は言いました。
「どれが一番興味がありますか?」
一通り目を通して、私はこのタイトルを選びました。
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なぜならば、タイトルが短い、その上、単語も難しいのがなかったからです。
これを読んで、その時点で、「ブルカの禁止を国立劇場で」と私は思い込んでいました。
劇場でブルカというのは、あんまりだもんね~などと思いつつ・・・
ブルカは、下の写真のようなイスラム教徒の女性の服装で、目だけしか出さないかぶり物のことです。

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私は、Conseil と consert を間違え、Le Concert national =国立コンサートホール
だと思い込み、理解したつもりで、誤解をしていたのでした。
正しくは、Le Conseil national  スイスの国民評議会の事でした。
「ブルカを禁止するかどうかを国民評議会で」 という意味だったのです。
投票が行われるのは、次の週とのことで、もう結果が出ていると思いますが、どうなったのでしょうね。

さて、次のテーマは、イラストだけで、タイトルが入っておりませんでした。
見れば分る! いや、分るかな?
TVの画面に映っているのは、アメリカの大統領選挙、ヒラリーとトランプのTV討論会の様です。
それを見ているのは、いかにも保守的なアメリカの家庭。
壁には鹿の剥製や蹄鉄が飾られていて、この二人は銃規制には反対って感じですね。

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スマートホンを片手に持った奥さん、ツイッターを見ながら
Il est meilleur en 140 caractères qu'en 90 minutes
「彼は90分より140字の方が良いわね」と言っています。
トランプ氏は、ツイッター(140字の制限がある)によく書き込んでいるそうです。
その書き込みも、後に軍師が付いているのではと私は思うのですが・・・
140caractères で、私は、トランプ氏は、140ぐらいキャラクターを変えることが出来るのか?などと思ってましたが、
caractèreとは性格という意味ではなく文字のことだそうです。
ツイッターなら受け狙いの言葉をかけるが、90分のTV出演だと、時間的に長すぎて、持ちこたえられないと言う事なのでしょう。

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《目がくらむ》《大胆不敵な》《ばかげてる》 新聞はイーロン・マスクの火星への野望を迎えた。
メキシコでの宇宙飛行士の学術会議において、億万長者達が待ちかねていた会議は、メディアに強い印象を与えた。しかしながら、そのミッションの資金調達関する詳細と赤い惑星上の住環境については何にも言ってないと言う事を指摘しておく。


イーロン・マスクは、数十年後には、一般人でも新幹線で東京から教徒に行くように、火星に行けるロケットを開発する予定だそうです。
まあ、そんなロケットが出来ても、私は絶対乗りたいとも、行きたいとも思いません。
行くとしたら、きっと別の世界(あの世)に行っていることでしょう。

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世界保健機構によれば、空気、それは多数の人を殺す。
世界保健機構の最新レポートによれば、大気汚染は、年間300万人の死亡原因となっている。


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木星の衛星の一つであるエウロパで水蒸気の噴出の可能性がある
ナサは月曜日に、ハップル望遠鏡で、木星の天体のおいて、間欠噴水を見つけたと発表した。それは、我々が、液状化した水を見つけることが出来る、地球外第二の場所となるだろう。


エウロパを、ヨーロッパ大陸だと思ったら、そこで訳が分らなくなります。木製を取り囲む惑星の一つだったんですって。
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ウルトラトレイル、研究者にとって遊びの場所
多数の賛同者がいる超ロングマラソンコース、それは科学者間では周知のことだ。彼等は、極限まで疲労した状態の人間の身体の使い方を理解するためには、そこは理想的な条件だと考えている。


terrain を走る場所と、研究者の専門分野の二つの意味をかけて使っているのだと思いますが・・・
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écran=画面という意味で 、スマホ、パソコン、タブレット、TVゲーム等の事です。
青少年のエクラン(画面)の使用を、どのようにして制限するか
これは、それに対していかなる規則もない親達を心配させるテーマだ。多かれ少なかれ、各家庭では視聴時間を制限するために、何らかの方法をとっている。読者の声とアドバイスをお願いします。


世界共通の、親の悩みだと思います。
最後のTémoignages et conseils.は Donnez des témoignages et des conseils ,s'il vous plait . という意味かなと思って訳して見たのですが、間違ってるかも?
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シモン・ペレス、イスラエル建国の父死去 
脳卒中の後入院していたヘブライ共和国(=イスラエル)のかっての大統領が火曜日から水曜日にかけての夜に亡くなった。93歳であった。彼は、50年間にわたり、彼の国(=イスラエル)の政治史に足跡を残した。


先生の説明を聞いて、訳して見ました。説明無しでは、どれもこれも意味不明のままだったと思います。

今週は、授業を休んだので、先週の続きを、復習してみました。

街は、何所に行っても、ハローウィン一色です。ここ数年の傾向だと思うんですが、何で日本でハローウィンやねん?
京都駅地下街にて

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Bécassine(ベカシーヌ)って、フランスのサザエさん?

2016年10月1日。
秋です。読書の秋、勉強の秋。心を入れ替えて、もう一度フランス語に取り組もう!
と月の初めに思ったのですが・・・・
バラ姫さまと先生が話してる内容に出てくる、人の名前が、ジョセフ・フォンションそしてベカシーヌと聞こえる。
何でも、昔の紀行文の中に新聞からの挿絵が引用されていた漫画が、いつの時の物か調べなくてはいけなかったと言う事から始まった話題です。その中に、1928年の7月14日(フランス革命記念日)を見に行ったという分があったので、彼女は、ガリカを使って調べたそうです。
 L'Écho de Paris というのも、学校の名前かと思っていたら、新聞のことでした。
これは1940年版だから、彼女が見たのは、もっと古い物だったのですね。

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ガリカ= Gallica。 ガリカって何だろう?フランス国立図書館の電子サイトなんだそうです。
それで調べて、その挿絵が、Joseph Pinchonと言う人の作品、Bécassine(ベカシーヌ)という事だと分って嬉しかった。

Ça m'a pris 3 heures.
調べるのに3時間かかった。
使い方としては、Ça a duré 3 heeures.よりÇa m'a pris がよろしいそうです。

「?」顔の私に、タブレットで、こんなのですよとデッサンを見せてくれましたが、その時、私はよく理解できてなかったのです。
Joseph Pinchon Bécassine  という名前の作者かと思っていました。
去年が、作者 Joseph Pinchonの生誕110年だったそうで、お祝いの記事のサイトも見つけましたよ。

Bécassine fête ses 110 ans

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著者の名前が Joseph Pinchon で、作品名が Bécassine なのでした。
1913年から1939年まで25巻出ている漫画の本です。
その後、1992年と2005年に出ているのは、きっとリニューアル版なのではと思います。
詳しく知りたい人は wikipedia Bécassine (bande dessinée) でどうぞ。

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差し詰め  日本なら 長谷川町子著 「サザエさん」という感じかなあと・・・
サザエさんも、1946年から中断はありながらも、 1961年まで続いた連載漫画です。

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こうやって、一人納得しております。
この、しつこい性格を改めないと、いつまでたっても勉強が進まないぞ!
それにしても、皆、色んな事を、よく知っているのだなあ~と驚きます。
休憩時間まで、単純過去の復習で、「星の王子様」のプリントを貰いました。
今読むか、家で読むか・・・・
そうだ、宿題があったのだ!

この後、スイスの新聞 le tempsのタイトルを選んでコメントせよという練習問題がありましたが、本日のご報告は、これにて・・・

今から、出かけてきます。