2018/04/17

即宗院 春の法要祭に行ってきました

4月14日は、私が入る予定の・・・正しくは、私が骨となったとき入る予定の墓所の合同供養祭に行ってきました。

前回行ったのは、2016年の10月だった様です。

団塊世代の最後の争奪戦・・・墓場ラッシュ

その時、100人を超えた会員数だと聞いたように思うのですが、今年は約230名とのことです。
なかなか商売繁盛のようで、これからも、この形の終末産業は発展することと思います。

私としては、死後の始末ばかりは、自分で出来ませんので、誰かにして頂くしか無い。
火葬の後は、引き取りを断って、火葬場の灰にとして処理してもらったら、それで良いのですが、担当になった人は、それでは、ちょっと困惑なさると思い、この樹木葬を申し込んだのです。

ここはとても気持ちの良い、心安らぐ場所でもあるので、宗教心は無くとも春と秋に訪ねるには最高です。
ですが、いつも、供養祭は土曜日に当たっているので、授業をサボらなくてはいけません。
と言うわけで、2年に一度ぐらいの頻度で参加させて頂いているのでした。

東福寺の北の入り口から入って、通天橋からのながめです。

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方向音痴の私は、場所が分からなくなってウロウロと彷徨ってしまいました。
東福寺本堂の東側から、また小さい橋を渡るのでした。覚えておこう・

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橋を渡ると、突き当たりの横のお寺です。
非公開なので、観光での訪問は受け付けておりません。

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名前の入った石板が4基に増えていました。
私の名前は。前から2番目の柱に刻まれておりますぞ。

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このクマザサも区画割りしてあって、部屋番号ならぬ、場所番号札をもらっているのですが、まあ意味はありません。
それより墓所の上が小山になっており、植わっている大木が地震でもあると倒れてきそうで気になりました。

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この日の法話は、現と前のご住職、お二人のお話でした。
現住職様は、まだ若くて、初々しく、ちょっと緊張してお話をされているようにお見受けしました。
前住職様は、話の達人でありまして、下手な噺家よりも、うんと聞かせてくださいます。
この日は、現在NHKの大河ドラマ「西郷どん」も話しに取り入れ、人生何が幸せかについて話してくださいました。
このお寺は、島津家ゆかりの寺でもあります。
明治維新の10年前の、今から160年前に、この寺の離れにあった庵で、西郷さんが幕府転覆の密談をしたそうです。
西郷さんは、苦労人で人の痛みの分かる人だった。
彼の座右の銘 「 敬天愛人」 天を敬い人を愛する。
愛するとは、いとおしむ心のことです。
敬天とは、自然に畏敬の念を抱くという意味でないかと、ご住職のお話から考えさせられました。

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即宗院の壁に掲げられている、この額についてお話を伺い、次に、一服の軸を見せて頂きました。
カメラを向けるのは恐れ多いので、どんなお軸かというと、ネットから引用させて頂くのですが、こんなお軸です。
最後の将軍、徳川慶喜の書 「悠然待果報」(悠然として果報を待つ)
めっちゃ上手な字です。
政治のトップに立つ人は、字も上手で無いといけなかったのですね。
あ~、私はエリートにはなりたくない。

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慶喜は、自分が高官として、明治政府から招かれるであろうと思っていた。
財産もあって、不自由は無かったし、70数歳まで長生きしたが、満足感は無かったであろう。
西郷さんは、逆賊として、最後は切腹して死んでいったが、最後に、笑っって死んでいった。
彼に後悔は無かっただろう。
人の生き方として、慶喜の細く長く、西郷の太く短く・・・あなたなら、どちらを良しとしますか?
とのご住職の問いに、細く長くが、結構多かったのでビックリしました。
がしかし、答えは一つでは無い。
三つ目の答え 「太く長く」という道もあります。
太く長くというのは、伸びやかにおおらかに寿命を全うしなさい。そんな意味だったように思います。

実に、うなずくことの多いお話でした。

このあとは茶話会で、手入れの行き届いたお庭をながめながらお茶を頂きました。
ハナミズキが、ちょっと早めに咲き誇っています。

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目立たないけれど、カリンも花をつけていました。
ここのお庭は、前住職さんが、自分ですべてお世話をされているそうです。
「息子に木から落ちるな、気をつけろと言われてますわ。」と笑っておられました。

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帰路の橋の下には、シャガの花が群れとなって咲いていたのでした。

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