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2018/05/21

労学 対馬物語4日目 


阿比留文字、そして、自由時間に、我が家の墓参り

3日目の話の続きを、ちょっと付け足します。
もちろんガイドさんからの受け売りですが・・・
蒙古襲来で戦い討ち死にした対馬のトップは宗助国でした。
対馬の支配を任されていたのですが、それ以前、対馬は阿比留(あびる)
という一族が支配していたそうです。

阿比留って、珍しい名字ですが、対馬では阿比留という名字は多いのです。
私たちのバスの運転手さんも阿比留さんでした。
阿比留一族は、恐らく対馬古来の豪族ではなかったかと、私は思うのですが。

なぜならば、対馬には、日本で文字が出来たよりももっと前に、阿比留文字 なるものがあったそうなのです。
韓国からのツアーを案内してきてた韓国人のガイドさんが
「阿比留文字はハングルの基となったと話されてましたよ。」とのこと・・・
そのくらい古い時代の文字のようです。
帰宅して、ネット検索してみましたが、あまり資料は見つかりませんでした。
ああ、残念!

阿比留文字
180510-1800.jpg
(ネットで見つけた画像です)

さて、最終日12日は、各自自由行動。
11時に空港への送迎バスが迎えに来る予定になっています。
私は、この日は、別行動をすることにして、朝食(6:30から)の後、ご先祖様のお墓参りをしてきました。
墓参りと言うより、内容は墓掃除でした。

私自身は、無宗教で「墓も寺もいらないい」という考えで、ずっと来ていたのです。
ご先祖の墓も 「しょせん形だけのものでしかない。」と斜に構えて、親任せ、兄姉にしておりました。
だから、一人で行ったら、場所がどこだったかよく分からない。
父が亡くなった後、母に連れられて数度訪れ、長兄が亡くなってからも2度、義姉の子供達と訪れいているのです。
にもかかわらず、方向音痴の私は、一人で行けなかったのです。

対馬に到着した日、「まず場所確認」と自由時間に、だいたいの見当で出かけたのですが、見事に東西を取り違えておりました。
同行してくれた友人が、交番で調べてもらって「あっち行って、右曲がって・・」
と指示してくれたので、無事たどり着くことが出来たのでした。
次行く時は、東横インと十八銀行のある通りの突き当たりにあるダスキンの店の横の道を入った良いのだ!

ダスキンがなくなっていたらどうしよう?どうか廃業しないでくださいね。

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緩く見えますが、年老いては上れなくなる急な坂道です。

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由緒正しき我が菩提寺の場所を忘れてはいけません。

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お寺の裏山がお墓になっています。まだ登りがかなり続くのです。
目印1は 通路一番始めの水道を左に入ること。

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まだ、よく分かってない、少し進んでT家のお墓を右に曲がって入ること。

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立派な両隣の墓に埋もれてしまいそうな慎ましいお墓、これが私のご先祖様の墓です。
なぜ、ここまで詳しく書くかというと、何年か先に、また御墓参りに行くとき、これを読み返せば、間違いなく一人でも行けるだろうと思うからなのです。

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今から約60年前に、父が、自分の先祖の墓と母の先祖の墓を寄せて合同し祭った墓だそうです。

父にしてみれば、第2次世界大戦の終わりを平壌で迎え、軍人では無かったけれど、兵器所の爆破犯の一味と見なされ、ロシア軍に逮捕され拘留。

母は五人の子供を抱えて、父の無事を祈り待ちました。
やっと解放された父と共に、一年をかけて、平壌から釜山まで歩いてたどり着き、引き揚げ船で博多港にたどり着きました。
途中の山の中で、また船から海の中に子供を捨てた親もいたのですが、うちの両親は、根性で全部連れて帰ったのです。

対馬に帰れたのは、その後でした。
父の母、私の祖母は、何一つ持たずに戻ってきた親子を、抱きしめて涙を流して喜んだそうです。

これだけだと美談ですが、大きくなって反抗期になった兄を見て、母は言っておりました。
「あの時、捨ててくれば良かった・・」と、
まあ、人間色々あって人生です。

それから約10年後に、父は、この墓を建てたのでした。
生きて帰れて、先祖を自分の手で合同墓に祭れて、さぞや安堵感があったことでしょう。
今年70歳になる私が、10歳から12歳ぐらいの頃だと思います。

今になってこそ理解できる親の思いですね。

父の朝鮮で過ごした思いが、この墓石の形に込められているのであろうか?

「なんで、こんな形にしたの?」
父が健在の時に、だれかお兄ちゃん達が聞いといてくれたら良かったのに・・・
と兄ちゃんのせいにするのが、末っ子の特徴です。

このように、他の家の墓石とは、全く異なる形のお墓なのであります。

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無宗教、かつわがままな私です。
「誰かが世話するから、私は関係ないもん」と思い込んでおりました。
その7人兄弟の末っ子が、一人で墓掃除をする様になったのであります。

お墓の中では、お父ちゃんとお母ちゃんが笑っているのでは無いかという気がしました。
兄弟の中で、私だけが、未だに、お父ちゃんお母ちゃんという言い方を残しております。
兄や姉は「お父さんお母さん」と呼んでおりました。
まさしく私は、末っ子の甘えん坊だったようです。

2時間ほど費やして、草を抜き、墓石をこすり・・・
でも、まだまだですが、時間が無くなるので、お別れしてきました。

厳原の海をながめる静かな墓地で、海風は動き回って流れる私の汗を冷やしてくれます。
小鳥たちが絶えず鳴き交わし、心が静まる場所なのです。

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目の前の樹木は、墓が作られた頃は、植樹されたばかりで、視界を遮る物はなかったと思われます。

父が愛し、、母が愛し、兄が愛した、この場所を、もう少し、そのままにしておいてやりたいなあ。
こんな私でも、やっと子供らしき、先祖に対する供養の気持ちがわいてきたようです。

人間、歳はとってみるものですねえ~・・・

まさか、こんな殊勝な気持ちがわいてくるとは思っていませんでした。

自分のためのお土産と思って、土産物屋で選んだマグカップ。

ブルーの海の色にかわいいツシマヤマネコ

のはずだったのが、開けたら、違うデザインのものが出てきました。

ヤマネコくんの瞳が 「すいません」っとわびているように感じました。

まあ、エエねんけどね・・・

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