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2018-11-17 (Sat) 13:54

青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)を訪問し紅葉を愛でながら奥鹿野を散策

11月14日
セットしておいた目覚ましの時計の音で飛び起きました。
最近はいつもダラダラと朝が遅いので5時前起床は体が動いてくれません。

伊賀市にある 青山讃頌舎 を訪問して、同行のメンバーで秘境の里、奥鹿野 を歩く予定なのです。

青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)はこれまで何度も訪ねている伊賀市にある美術館です。
行く時は、ほとんど車に乗せてもらっているので、電車で行くのは今回が2回目です。
三重県伊賀市はどこにある?
地理に弱い私は未だよく分かっておりません。
確認しましょう。
奈良、京都、滋賀、岐阜、愛知県にまたがって他府県と隣接している地でした。
ここならば戦国時代に忍者が活躍できる場所だったと納得がいきます。

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琵琶湖の西にある我が家からだと、かなり時間が掛かります。
のろまな私は、乗り換え時間に間に合うか心配なので、始め6時12分の電車に乗るつもりでした。
それだと逆算して、家を出るのは5:50でした。

しかし、前夜に友達から電話で、新祝園で拾って車に乗せてくれるとのことです。
出発時間が6:35で可能となりました。
おかげさまで現地集合の9:30に間に合い助かりました。

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2018年秋期企画展
「それは釈迦から始まった ー穐月明の仏画と 収集古美術ー」

をゆっくり見せていただき、お茶室でお薄と美味しいお菓子を頂きました。

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ハイキングの出発は11時ちょうどです。

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この坂道を下って大村神社を通り過ぎ柏尾川に出るのですが、周りはほとんど人家のない所です。
それなのに、なぜか一軒だけポツンと建っている家があります。
看板には「スナック まろよし」の文字が・・・


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昼でも人気の無い場所で、日暮れともなると真っ暗です。
いったい誰が飲みに来るのだろう?
もしかしたら狐か狸が夜の酒場に現れて
「次は麿が歌わせていただこう」「おお良し良し」→ まろよし?
などどお喋りしながら進みます。

11:20 柏尾(カシオ)の里を通ります。
川沿いに続く里の風物に、心がほっこり休まります。

ムカゴを見つけては、食料ゲットとはしゃぐ面々です。

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12:20〜12:50
道沿いの枯草に腰を下ろして昼食タイムをとりました。
5人の友全てに会うのは何年振りだろう、本当に久しぶりです。
でも、山仲間というのは良いですよ。
昨日の続きのように隔たりを感じないのが何とも嬉しいですね。
お弁当の後には、同行のOさん差し入れの、りんごたっぷりのパイをデザートに頂きました。
おごちそうさま!
これでは、いくら歩いていもダイエットになりそうもありませんが、良しとしましょう。

干し柿の吊るされた農家に出会い、どんな方法であそこに柿を吊るせたのか?
リーダー曰く、隣の二階から左側に出っ張っている屋根を伝って庇に移動できるはずだ。
日差しをたっぷり浴びた干し柿は、我らの好奇の視線を浴びて、益々色づくようでした。

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道沿いに歩めば、黄金色に輝く銀杏の木、年月と風に摩耗し岩に刻み込まれたお地蔵様が何箇所か鎮座しておられました。

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小高い石垣の上の立派なお屋敷と見えたのは保徳山・久昌時。
曹洞宗のお寺でした。
ここで13:45です。

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御堂の柱には「 座禅会 」 と墨書されたお札か下げられておりました。
座禅
それは見るには結構なものでありますが、結跏趺坐 
短足の私には不可能な修行であります。脚が組めへーん!

奥鹿野(オクガノ)。
観光旅行本には掲載されていない村ですが、静謐で明るい。
村人がこぞって、地域を守り慈しんでいるのが伝わって来ます。

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リーダーのAさんは、この近隣に居を構えられているのですが
「ここに来て、僕の中で認識が変わってきた様な気がする。古いものを守るのではなく、古い文化を守るという事ではないかと」
文化を守り継承して行くには、若者達が意志的に係わっていかなければ未来に繋げることは出来ない。
この地域では、毎年の神事なども、継続して行われているとのことです。
そういえば、選挙看板の立候補者が30代のイケメンばかりだった様な気が・・・
そりゃあ投票に行こうという気も湧いてくるというものです。

14:20
金毘羅宮の麓に到着しました。
によりますと、江戸時代は文政年間に創設され、昭和41年(1966年)に高松宮がおいでになり、休憩されたとあります。
きっとそのとき、さあ大変だと、大慌てで社務所や階段を整備したのだろうと拝察します。
今では、階段も落ち葉に埋もれ、登山者でもなければ上まで登る人はいないようです。
我々一行も、健脚の3人だけが頂上探索に行き、残った2人はおしゃべりを楽しんで過ごしました。
この金毘羅宮の手前に、時知らずの桜、四季桜とも呼ばれる桜が咲いておりました。

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紅葉を楽しみ桜を愛で、14:50 八柱(ヤハシラ)神社です。
曲がりくねった参道はそのままに、まっすぐな新しい参道が出来ていました。
遠望すればこのように、すっきりした感じです。

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八柱(ヤハシラ)神社。
八柱とあるので、8人の神様の兄弟姉妹仲良く名前が書いてあるのかと思ったら何か違うみたいです。
兄弟の内4人しか名前が出てないようです。
得てして、大家族になると下の方は気にもとめられません。
7人兄弟末っ子の私としては身につまされるものがありました。

建速須佐之男命(スサノオノミコト)市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)
この2人の名は、読み方をネットで探し出しましたが、他はお手上げです。
まあ、古事記、日本書紀の時代から繋がっている場所ということで納得しましょう。
あっ、Wikipediaに記載がありました。

八王子神社  ← 調べたい人はクリックしてください

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15:15 奥鹿野公民館前で、ハイキング終了宣言をしたのですが、全員帰り道は近鉄西青山駅歩かなければなりません。

車道をダラダラとひたすら峠まで登り、下りきったら、近鉄の旧線路後の道を歩いて
16:10 西青山駅に着きました。

道すがら見かけたお家で、丹精されている鉢植えや、皇帝ダリア、その他を見せていただきました。
持ってお行きなさいと皆にくださったお土産の爪楊枝です。

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きれいな字がうらやましい。

風物良し、人情良しの奥鹿野の一日でした。

この日の歩数計は、33000歩。
私にとっては今年一番の歩行距離ではなかったかと思います。

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最終更新日 : 2021-02-06

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